ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

なぜお酒を飲み始めた?

下記の本を参考にしました。

 

薬物依存症 (ちくま新書)

薬物依存症 (ちくま新書)

 

 

 

なぜお酒を飲み始めましたか?

 

言葉を変えると

なぜ、薬物を使い始めましたか?

 

上記の本から引用しますね。

 

意外に思うかもしれませんが、人が薬物をくり返し使うようになるのは、必ずしも薬物にもたらされる快感のせいとは限りません。アルコール(くわしくは本書第1章で説明しますが、これも立派な薬物です)がそのよい例です。飲酒習慣を持つ人のなかで「自分は最初からアルコール飲料の味に強烈な快感を覚えた」という人はめずらしい部類に入ります。むしろ多くは、「飲み会の雰囲気が好き」「しらふのときよりオープンな交流ができた気がする」「大人の仲間入りをした気がした」といった、人との「つながり」ができる感覚に好ましさを感じ、そうした親密な雰囲気のなかで飲酒経験を繰り返すなかで、時間をかけてアルコールの「おいしさ」に目覚め、あるいは学んでいくのではないのでしょうか。

 

人間は孤独はあまり好きじゃないし、人から認めてもらいたい、という欲求があるし、そのために人との「つながり」を求めるのでしょう。

 

人間は社会的な生き物なので、自分の居場所、つながり、認めてもらいたい、という気持ちは当然あります。

 

その、社会的な行動の手段として薬物があるのですね。

 

でも、薬物を使い続けると、あっというまに脳が侵され、結局、あれほど嫌った「孤独」に戻ってしまう。

 

 

えーと、私見で恐縮です。

薬物がなくても「つながり」を持つことはできます。

人との「つながり」の手段として薬物が用いられますが、使い続けると、いつのまにか薬物が目的になるんですよね。

 

「飲み会」という単語があるじゃないですか?

 

飲むのが目的?

きちんとした会話が目的?

たぶん、酔って空騒ぎをするのが目的でしょ。

終わったあと、翌日、なにひとつ変わってないことに気づくパターンでしょ。

 

 

 

薬物をとっぱらったほうが、「つながり」の内容が、目的がはっきりしますよ。

 

私は薬物(アルコール)を完全にやめましたが、人間関係が変わりました。

 

薬物でつながっていた関係はなくなりました。

で、ほんとうに大事な関係だけ残りました。

この関係のおかげで、よい影響を受けたり、有益なことをたくさんもらいました。

 

そうだなあ、「つながり」における薬物は、お料理にたくさん使う人工調味料みたいなものです、使いすぎると、これがないと物足らないのです、そしてこれを使い続けることが目的になります。

 

お料理は、本当は、その素材の良さを生かして作ったものが、地味ですけど、飽きることなく、かといって体に負担をかけるわけでもない。でも、そこに気づかないんでしょうね。

 

この国は合法的に薬物を使う自由があります、でも、使わない自由もあります。

 

私は「使わない自由」を選んで、本当によかったな、と思っています。