ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

薬物依存症の復習(5) 仏教徒の立場

生きとし生けるものが幸せでありますように と

お釈迦様に誓ったので。

 

どんなひとでも慈しみを持って接しなければいけません。

 

お酒に酔った方には基本的に近づきたくはないのですが、ベンチで寝転んでたり、路上で横たわっていたら、見て見ぬふりは出来ないなあ とは言っても救急車か警察を呼ぶことぐらいしかできないですが・・。

 

 

禁酒法や、薬物には厳罰をもって臨む、罰や辱め排除で、薬物依存に臨んでも、みなことごとく敗北してますね。

 

本書では、薬物の使用は快楽を得るのは目的のだけではなく、自分の苦悩や苦痛を緩和する自己治療として機能していた、と述べています。

 

完全な治療ではないですが、苦悩、苦痛の一時的な緩和をすることができるでしょう。

 

単純に薬物を悪者として捉えていないのですよ。

 

心の苦痛、苦悩でどうにかなってしまうのを薬物が救ったという解釈です。

 

これには、驚きました、でも、これで薬物は簡単にやめることができないのだな、と妙に納得してしまいます。

 

でも、薬物を使い続けることで、依存症となり、社会から孤立してしまう。

 

本書では、孤立ではなくつながりを、と説いてます。

 

その取り組みとして「ハームリダクション」の話が出ています。

ハーム・リダクション - Wikipedia

 

薬物なら注射室の設置ですね、看護婦が常駐して清潔な注射器を使い、感染を防ぎ、過量摂取を防ぎ、生活するうえでの相談も受けることができる。

 

つまり薬物の供給を厳罰等で制限するより、需要を低減して、薬物の二次被害を防ぐ、という取り組みです。

 

ポルトガルの取り組みがありました、引用します。

2001年ポルトガル政府は、あらゆる薬物の少量所持や使用を許容することを決定しました。そのうえで、薬物を使用する人たちを刑務所に収容してから排除するのではなく、依存症治療のプログラムや各種福祉サービスのプログラムの利用を促すとともに、社会での居場所作りを支援し、孤立させないことを積極的に推し進めたのです。

具体的には、薬物依存症者に対する就労斡旋サービスの拡充、薬物依存症者を雇用する経営者への資金援助、中略  

いいかえれば、これまで薬物依存症者を辱め、社会から排除するために割いていた予算を、逆に彼らを再び社会に迎え入れるために割り当てたわけです。

 

 

劇的な成功を納めたとのことです。

 

 

薬物で悩んでいる人を辱め、排除するのではなく、社会が受け入れること。

 

薬物を使った人でも

日本みたいに「にんげんやめますか?」とか「ダメ、ぜったい」ではなく。

 

「やりたい」という人も安心できる

「やってしまった」という人も安心できる

「やめられない」という人も安心できる

「やめたい」という人も安心できる

 

そのような社会が必要だな、と思いました。

 

仏教徒として、

やりたい、やってしまった、やめられない、やめたい、方々にも偏見を持たず、慈しみを持って接することが、そういった社会を作る手助けなればいいな、と思った次第です。

 

復習は終了です。

 

本書では、もっと詳しく、もっと具体的に依存症への取り組みが書かれています。

 

興味のある方、ぜひおすすめです。

 

薬物依存症 (ちくま新書)

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