ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

発明された文化?

上座仏教の国、ミャンマーでは祖霊崇拝の習慣がない、とのことです。

 

一番いいのは輪廻を断ち切って解脱することです、できなかったら、そのまま輪廻。

 

死んだら、行くべきところに行く、遺体はただの抜け殻で、そのままにしておくのも不衛生なので、埋葬します。

 

一度埋めたら顧みません、日本のようにお墓参りとか、何回も法事をするとか、お寺には墓地がないですし、これが普通なんですよ。

 

日本は先祖崇拝の習慣がありますが、これは、日本の仏教の発明ですね、ミャンマーではお寺は世俗を捨てたお坊様の修行の場所ですが、

 

日本の寺院は、江戸時代、財産を安堵される代わりに、寺院を檀家制度で統制したのですね、檀家制度により寺院や民衆を統制し、寺院が特権的に檀家の葬祭供養を執り行なう。

 

檀家の葬祭供養を維持するために先祖崇拝のしきたりが必要です。

 

もともと仏教にはありません、発明された日本独自の文化ですね。

 

民衆を統制したいと思う時の権力者、財産を安堵されたい寺院。

先祖崇拝は、使いやすかったのでしょう。

 

 

先祖崇拝って首をかしげる場面もありますね。

 

例えば、仲の悪い親子

死ぬまで仲が悪く、親が死んでから、子が墓の前で後悔の涙を流す。

 

これ、先祖崇拝、祖霊崇拝ですよ。

親孝行ではないですよ。

 

親孝行は親が生きているうちに、とっとと仲良くなって、徹底的に悔いなくやるものです。

 

悔いなく親孝行できたら大成功です。

 

親をやすらかに、穏やかに送ることが出来たら、最後にして最高の親孝行です。

 

死んだら終了です、死んで、立派な墓作ろうが、何しようが、もう親孝行はできません。

 

先祖崇拝と親孝行をごっちゃにしてる方も多いのでは・・。

 

先祖崇拝って発明は、一番大事なことを見落とします。

 

 

私もどちらかというと、ミャンマー派ですね。

 

遺体はとっとと捨ててくれ。

 

遺骨には意味がないし、墓にも意味がないし、何回忌という法事も意味がないなあ、死んだらそんなことわからんし。

 

行くべきところに行った人にかまわず、残ったひとは、とっとと、頑張って生きてくれ、生きていく、が一番大事だと思います。

 

先祖崇拝の檀家制度で、お坊様は我々在家と同じになりましたね。

 

 

日本の仏教は、世の権力者に囚われず、新しいことを発明しないと、ますます衰退していくのでは・・。

 

と、好き勝手書きましたが、私の親は元気です、今、悔いなく親孝行してる最中です、亡くなったら、親が望む祭式を行うつもりです。

 

生きとし生けるものが幸せでありますように。

 

 

参考にした本

「功徳と喜捨と贖罪」宗教の政治経済学

伊東利勝 編

愛知大学人文社会学研究所