ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

仏教の経済論っというほどではありませんが。

下記の本を参考にしました。

 

 

日本とか、先進諸国では、資本主義経済の原則に乗っ取って、一部の方が生み出した富、それを分配するのではなく、更なる経済活動のために投資する、使い道は他者を支配し、支配で得た富をますます貯めていったり相続することで、結果的に貧富の差ができてしまうのではないでしょうか?

 

富を離さない、富を拡大させようとする社会ですね。

 

これで、人間は幸福になりましたですかね?

 

 

ミャンマーでは、輪廻の解放、運よく富を貯めたところで来世にもってはいけない、功徳による苦からの解放、物欲は苦を生み出すのでこれを断ち切っていく、サンガを維持するための寄進はたいへんな功徳になります。

 

在家から、功徳寄進を受けても、お坊様の財産にはなりません、お坊様の財産の所持、経済活動は禁じられてます。

 

お坊様から経済的な見返りはありません。

 

 

ミャンマーでは、あちらこちらに仏塔やお寺ができてます。

欲を断ち切った証拠になります。

それが使い道です。

 

自分の子どもに財産を残しません、残したところでなんの功徳にもなりませんから。

 

 

 

 

これって、経済的には浪費と蕩尽ですね。

 

 

富は蕩尽され、溜らないし、再投資に回らず増えません。

お金持ちは寄進で消えていきます。

 

 

でも、貧富の格差が出来にくいです。

これでいいんじゃないでしょうか?

 

 

お金持ちから強制的に富の再分配をするのはよくないです。

 

でも、納得ずくで、富を浪費、蕩尽することで、結果的に貧富の差を作りにくくしているのなら、それでいいんじゃないでしょうか。

 

 

富を蓄えると結果的にその富の奴隷になってしまう、維持や増やすために言いなりになってしまうんですね。

 

でも、人生の最後に、自分の功徳のためにパーッと使うのは、なかなか豪快でいいですね。

 

私もこれを目指したいです。