ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

15年前の自分 戦争という手段を否定していませんでした。

15年ほど前に、ブログを作ってそのままにしてたのが残ってました。

 

2003年3月から2004年11月までやってました。

 

削除の仕方もわからなくなっているので、このままでしょう。

 

最初、自分のブログかわかりませんでした。

 

「あー、おんなじだ、俺もこのカメラ持ってましたよ」とか

「ヨドバシの梅田に行ったことがあるんだ」とか

 

気づかないんですよ。

 

でも、読み進めると

 

「ん、これ?、俺のことじゃない?」

 

「俺だあ」

 

いやあ、好き嫌いと、偏見に満ちた、無責任な文字の羅列でした。

 

で、その中で戦争についての文章がありました。

 

2003年はイラク戦争が始まった年ですね。

 

戦争を始めたアメリカは本当に正しかったのでしょうか?

 

フセインがああなったのは、アメリカも絡む長いいきさつがあったのでは?

 

2010年にオバマ大統領が「終結宣言」を出して終わりましたが、この戦争は平和をもたらしましたか?

 

ウイッキーを読んでも、きちんとした総括がありませんね。

正確な民間死亡者数もわからない。

 

2003年3月の私です。

戦争について

日記の趣旨とは違うのだけど、頭の中を通り過ぎてしまわない
うちに、書いておこうと思う。

国の在り方として、いろんな形態があるけど、日本は民主主義、
小泉首相や天皇制を批判した言動執筆しても罰せられたり、命
が危険になったりはしない。

国民主権のありがたみをしみじみ感じます。

しかし、世界には、一人の人間がワンマン経営している独裁国
家もあり、字の通り、独りの人間がすべてを決裁している。

国がなんらかの理由で不安定な状態のとき、強く国民を引っぱ
っていく強い政治家が現れて国を統治するという形態は否定し
ないけど・・。

でも、その強い政治家が、国民主権に目をそむけ、本当に実力
のある人、国民の信望がある人に権力や統治に継承を行わず、
自己の利益のためだけに国家経営を行うと、いろいろとおかし
いところが出てくる。

一番おかしいのは、人道的なこと。

まともな国家なら、よっぽどひどい犯罪なら裁判とかの手続き
を踏んで、死刑で命を奪うこともある、でも死刑廃止の動きが
る国家もあるから、国家が正当な理由なく国民の命を奪うとい
うことは、ほとんど無くなりつつある。

私が、独裁と言われる国で一番許せないのは、国家イコール独
裁者が正当な理由なく国民の命を奪うこと。

これを無くすために戦争という手段が今回取られたけど

この手段がけっして最善とは思わない。

でも戦争という手段の存在は否定しない。

戦争というと、いろいろ意見、考えがあると思うけど、平和の
存在を認識しても戦争の存在を否定するのは片手落ち。

いまある戦争の存在をきちんと受け入れて、独裁国家を無くす
もっともっといい手段を考えていかなければならない、と思う。

まあ、私自身もいまのところいい手段が思い浮かばないけど・

 

 

 仏教では生滅生滅のくり返しなので、15年前の私はとうに死んでますね。

 

死んだ自分に会いました。

 

この文章から4年後にテーラワーダ仏教と出会います。

 

それから2年後に法話を聞いたり、冥想したり、学ぶようになりました。

 

五戒では、生き物に害を与えることは禁止です。

 

戦争は生き物にこれ以上はないくらいの害を与えます。

 

戦争は例外なく明確に否定です。

 

今も世界のどこかで、争いや紛争があるでしょう。

 

でも、生きるものに害を与えることは、いかなることもNGです。

 

15年前の自分よ、さようなら、です。