ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

生物上の現象としての死

生きている間が大事。

 

でも、いずれ、生物上の現象としての死がきます。

 

生物としての機能が止まってしまうんですね。

 

死んでしまったら、行くべきところに行きますので、お葬式はその通過点ってな感じです。

 

般若の独り言さんからです。

yamaneko.hatenablog.jp

 

 

 

私もツィートいたしました。

 

 

 

覚らないかぎり輪廻は続きますので、終わりません。

 

でも、身体は機能しなくなるので、オサラバです。

 

お葬式は、機能しなくなった身体とオサラバする通過点ですね。

 

 

スリランカやミャンマーでは、般若の独り言さんみたいなお葬式なんでしょうね。

 

箭経を唱えるのでしょうか。

www.jataka.info

 

 

箭経では、亡くなった方についてどうのこうのは無いです。

 

 

 

 

 

死の理(ことわり)を説いて、亡くなった方と関係のある方々に、「行くべきところに行ったのですから、いつまでも悲しんでないで、とっとと行きましょ」という内容です。

 

 

 

私が病気になって死にそうになったら、意識あるうちに、尊敬するお坊様を呼んで、みっちり法話聴いて、ピリットをしてほしいです。

 

死んだら、法話も聞けませんから、ちょっとでも生きているうちが大事です。

 

 

日本の大乗仏教のお坊様は、人が死んだら、袈裟を羽織って仕事を始めます。

 

枕経?なんて聞きますが、もう死んだ方にお経をあげて、何をしたいのでしょう?

亡くなった方への関係者(生きていますから)と向き合うことが大事なのでは。

 

もっと、意味のあることしましょうよ。

 

 

私が死んだら、葬式はあっさりと終わらせて、参列者に箭経のコピーを渡して、「ご参列ありがとうございます、これは通過点に過ぎないです、また、明日から元気にがんばってください」という気持ちを伝えたいです。