ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

お正月の何がめでたいの?

すごくひねくれたお題です。

 

ネットで

「お正月 何がめでたい?」という言葉を入れるといろいろ出てきます。

 

 

20代の頃、31日、1日と勤務してたことがあって、郷里を離れて、帰省しないで、年末年始を過ごしました。

 

私の働いている姿に元気がなかったのでしょう。

 

職場の先輩が

「365日の1日だから・・・」と言ってくれたのが、30年以上経った今でも、思い出されます。

 

だから、年末年始といっても、「365日の1日」ということで過ごしてます。

 

で、年始の何がめでたいの?

 

歳が経つことの、何がめでたいの?

 

また、齢をとるし、齢をとると、老いや病気が忍び寄るし、親は老いて弱っていくか、死んでいくし、子どもは離れていくし。

 

で、何がめでたいの?

 

 

 

年始は、人間関係をスムースにするための長年の慣習で「おめでとうございます」と言う場合が多いのかな。

 

慣習に理由は?

 

慣習に深い理由は無いかな・・。

 

あいさつする相手が死なずに無事に1年くぐりぬけてきたので、「おめでとうございます」と言う場合は・・・あまりないかな。

 

挨拶する相手の「何」にむかって「おめでとうございます」と言うの?

 

 

かなりしつこいですよ。

 

 

いいヒントは、やはり先生にありました。

巻頭法話(143) 祝福論

 

 

私が勝手に思うことで申し訳ないのですが・・。

 

 

「おめでとうございます」は祝福の意味です。

 

慈しみの気持ちからくる祝福もあると思います。

 

私はよく「良かったね」という言葉を使うらしいのですが・・。

 

例えば、日頃、心配なひとが立ち直ることができた、苦難を乗り越えることができた、これに対しては「良かったね」です。

 

親の病気がたいしたことがなかった、これに対しても「良かったね」

 

たいしたことじゃなくても「良かったね」です。

 

「良かったね」は安堵もありますが、相手の幸福を願う気持ちもあります。

 

これって、日頃、貪瞋痴に塗れて生きている自分への、いいトレーニングにもなります。

 

「良かったね」には、多少、貪瞋痴は薄まってると・・・思う。

 

 

特にお年始でなくても、365日、慈しんで、相手の幸福を願う気持ちは大事なんじゃないでしょうか。

 

上記のリンクから引用します。

祝福では相手のこころに清らかな気持ちを伝えてあげるのです。本人にはどこまででも清らかな気持ちでいる自由があります。

 

 

自由意志で好きに選べます、どうせ選ぶなら最上のものを選びたいです。

 

 

生きとし生けるものが幸せでありますように。