すごくひねくれたお題です。
ネットで
「お正月 何がめでたい?」という言葉を入れるといろいろ出てきます。
20代の頃、31日、1日と勤務してたことがあって、郷里を離れて、帰省しないで、年末年始を過ごしました。
私の働いている姿に元気がなかったのでしょう。
職場の先輩が
「365日の1日だから・・・」と言ってくれたのが、30年以上経った今でも、思い出されます。
だから、年末年始といっても、「365日の1日」ということで過ごしてます。
で、年始の何がめでたいの?
歳が経つことの、何がめでたいの?
また、齢をとるし、齢をとると、老いや病気が忍び寄るし、親は老いて弱っていくか、死んでいくし、子どもは離れていくし。
で、何がめでたいの?
年始は、人間関係をスムースにするための長年の慣習で「おめでとうございます」と言う場合が多いのかな。
慣習に理由は?
慣習に深い理由は無いかな・・。
あいさつする相手が死なずに無事に1年くぐりぬけてきたので、「おめでとうございます」と言う場合は・・・あまりないかな。
挨拶する相手の「何」にむかって「おめでとうございます」と言うの?
かなりしつこいですよ。
いいヒントは、やはり先生にありました。
私が勝手に思うことで申し訳ないのですが・・。
「おめでとうございます」は祝福の意味です。
慈しみの気持ちからくる祝福もあると思います。
私はよく「良かったね」という言葉を使うらしいのですが・・。
例えば、日頃、心配なひとが立ち直ることができた、苦難を乗り越えることができた、これに対しては「良かったね」です。
親の病気がたいしたことがなかった、これに対しても「良かったね」
たいしたことじゃなくても「良かったね」です。
「良かったね」は安堵もありますが、相手の幸福を願う気持ちもあります。
これって、日頃、貪瞋痴に塗れて生きている自分への、いいトレーニングにもなります。
「良かったね」には、多少、貪瞋痴は薄まってると・・・思う。
特にお年始でなくても、365日、慈しんで、相手の幸福を願う気持ちは大事なんじゃないでしょうか。
上記のリンクから引用します。
祝福では相手のこころに清らかな気持ちを伝えてあげるのです。本人にはどこまででも清らかな気持ちでいる自由があります。
自由意志で好きに選べます、どうせ選ぶなら最上のものを選びたいです。
生きとし生けるものが幸せでありますように。