
K. N. ジャヤティラカ博士論文集 第1巻 (仏教社会哲学の様相/仏教観からの倫理)
- 作者: K. N.ジャヤティラカ,川本佳苗
- 出版社/メーカー: サンガ
- 発売日: 2018/11/23
- メディア: 単行本
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サンガさんの「社長ブログ」に刺激されました。
サンガさんの社長ブログに、先生の動画が出ており、「先生が学生だったことろの愛読書、先生の大師匠」と聞くと、やはり興味をそそられます。
でも、最初は、論文なんて苦手、かた苦しいに決まってる、という先入観で、まったく買うつもりはありませんでした。
でも、淳久堂で見つけ、2時間ほど座り読みをして、購入を決めました。
迷惑な客です、アマゾンではこれはできませんね。
簡単な感想です。
意外と頭に入りました、それだけ私の頭の中は、長年の学校教育のせいで西洋的な論理というか言い回し方に慣れているのかもしれません、不思議と読めるんですよ、これは自分でも意外でした。
トインビーさんの疑問に答えるところを過ぎて、「バガヴァッド・ギータ」これは、わかりませんでした、ヒンドゥーのお経なんでしょうか、ここは飛ばしました。
善の優位性を説く部分があり、「人間の本質は善」と言ってますが、ここで「ん?」とひっかかりましたが、あとからの文脈で「人間と本質のもつ悪に目をつむるお気楽な楽観主義というわけではない」というところで、納得。
●仏教の目的は涅槃に達することですが、「死んだら終わり」の「死」が最終目的だったら・・・。
断滅論というのでしょうか。
たとえ善いことをしても、悪いことをしても、死んだら、その行為の結果が出ないということですね。
だったら、私は、徹底的に好き勝手な生き方をしますね。そして死んでチャラにします。
死んでチャラ、という生き方をみんながすると、たぶん滅茶苦茶な地獄みたいな世界ができそうですね。
でも、仏教では因果を説いてます。
引用します
この活動が自己の性質をより良く変えないなら、または状況を幸せに変えず実際は死が人生の最終目標であるだけなら、悪を控えて善を行って心を清浄にすることに、それほど多くの目的はないだろうと。それは、たとえ人間に行動する自由と能力があったとしてもである。つまり、もしそのような活動が人間の性質をよりよく変え、または長い目で見て状況を幸せにし、実際は死が個人の最終目標ではない場合にのみ、これら全ては意味を持つ。
「これら全ては意味を持つ」か・・・・・。
んーー、深い。
あまり突っ込んで書かないでおきます、ただ、仏教の輪廻に関する疑問の答えのひとつがここにあるような気がします。
●仏教の最終目標は涅槃です。
究極の善行為は、涅槃という目標を達成するまで、達成してから、行うことができる。
引用しますね
したがって、人は最終的に涅槃という高次の幸福に到達するまで、粗雑な形の喜びを断念することによって合理的かつ可能なことを行うべきである。
仏教観からの倫理、善悪を説明するには、仏教の根本を説明しなければなりません、興味にある方はどうぞ深く読んでみてください。
●さて、最後。
飲酒に関する例えがありました。
飲酒(泥酔)は仏教的に悪。
飲酒(泥酔)がもたらす不快な心理的、社会的、業的な結果は、飲酒者や社会がどう考えるか無関係。
こうした社会では飲酒(泥酔)は高く評価され認められているのだろう。
でも、これが泥酔が客観的に悪であるという事実から逸脱するわけでもなく、不快な結果というのは、社会がいかに感じようが存在する。
社会はどうあれ、飲酒の業は飲酒者が受けとる、と理解しましたが、どうでしょうか?
いつもとは違った角度で仏教をとらえるには、とてもいい本だと思いました。
生きとし生けるものが幸せでありますように。