思わず目を引くタイトルです、でもご安心を、抹殺はされていません。
日本の廃仏毀釈は、この程度で済んでよかったです。
仏を廃し、お釈迦様の教えを毀す、ことらしいです。
でも、仏は廃されていませんし。お釈迦様の教えも壊れていません。
一部で亡くなった方や、ケガをされた方もいたようです。
でも、寺や仏像が、破壊された程度でよかったです。
知り合いの母国、スリランカでは、昔、ビルマやタイから、お坊様を招いて、仏教を再興させています。
ということは、どういうことなのでしょうか?
お坊様が一人もいなくなった、ということです。
還俗させられたか、殺されたか、です。
争いや植民地化で、仏教が絶えてしまったのですね。
現在もスリランカの比丘尼のサンガは再興ならず、絶えて失ってしまいました。
お坊様はすべていなくなってしまいましたが、残った在家が、ビルマやタイに渡り、仏教を再興させたのですね。
結局のところ「人」です。
この本には、いろんな「人」のありかたが出てます。
中央政府のご機嫌とりで、廃仏毀釈を徹底的に行った地方役人。
仏教のお坊様に抑圧されていた神社関係者が、積年の恨みをはらすごとく、お寺や仏像を破壊する話。
廃寺を迫る役人に、「中央政府は神仏の分離を言ってるのであって、廃仏せよ、とは言ってない」と、食い下がるお坊様。
廃仏毀釈の荒波を察知し、とっとと還俗して、平民や神社関係者になるお坊様。
女遊びが過ぎるお坊様のお寺、徹底的に破壊され、民衆から見放され、再興さえならず。
強制的に還俗させられても、廃仏毀釈が収まってから、お寺の再興に走る元お坊様の在家。
強制的に廃寺にされても、還俗だけは拒むお坊様。
「人」いろいろです。
日本の廃仏毀釈は、殺戮が無かったのでよかったです。
寺や仏像は、壊したければ壊せばいい、でも、お坊様や仏教を信仰する在家をすべて殺してしまえば、その国の仏教は絶えます。
でも、お坊様や、仏教を信仰している在家が残りました。
残れば、なんとかなります。
やっぱり「人」なんですよね。
廃仏毀釈の言葉は知っていても、その中身は知らないと思います。
仏教の歴史に興味のある方は、ぜひどうぞ。