またまた、非常に私見に満ちた話なので、合わない、と思ったら無視してください。
時代というか、時間の流れは人間が便宜的に区切りを入れたりするので、どうのこうの無いです。
いきなりですみませんが、元号はいらないなあ、と思ってます。
「昭和」は、身体に染みついていましたが、平成から、だんだん違和感が出てきました、例えば、他人の齢の計算するのに元号は使わなくなりました、西暦に換算します。
何か過去のことを思い出すときでも、平成、昭和よりも、これも西暦に換算するようになりました。
元号とはいえ、表記は数字です。
ふだんの生活では、使えない数字になってきたような気がします。
今回の改元でも、多くの企業は西暦を使うのではないでしょうか。
役所は元号を使うでしょう、でも西暦と併記したほうがいいかもしれません、私はそのほうがありがたいです。
令和元年 (2019年) てな具合に。
皇紀は感覚的に無理かな。
改元するということは、天皇が代わるということです。
いまの天皇ご一家、みなさまは国民のことを常に案じ、そのお姿には、言葉には言えないありがたさを感じます。
ただ、どうしても天皇制にひっかかるんですよ
外国を見ますと
朝鮮半島や中国の君主は、日本よりもはるかに歴史があります、でも、もう今はありません。
で、イタリアは戦後、国民投票で王制から共和制に移行しましたね。
王制がなくなりました。
ああー、ここにまとめがありました。
まとめてくれた方、ありがとうございます。
君主制を廃止した国、一覧です。
主に政治体制の移行から、君主制をやめるところが多いです。
日本も戦後、政治体制も変わりました。
ただ、私が気になる部分はここです。
否定、肯定と意見が分かれます。
責任を細かく区分して論じてます。
さて、ジャータカさんは何を言いたいのか?
仏教徒の立場ですと、生命に害を加えることはいけません、これに例外は無いです、この過去の出来事に関して天皇制はどう関与したのか?
戦前は天皇に主権があり、統治権を総攬する元首、として規定されてました。
国家が行った戦争で、天皇に責任が無いとは言えないと思います、天皇制をやめるくらいの責任があったと思います。
ただ、天皇制は続いてしまいました。
昭和天皇、上皇様は、象徴としての在り方を常に模索し、その努力は、国民の圧倒的な支持を得ています。
でも、その努力に対して、国民は応えていない、という感じがします。
一般の人とは違い、憲法、皇室典範、政府など、それらに対して我々が想像でいないくらいの我慢とかがあるのではないか?と想像します、それらを真剣に考えたことがあるか?
例えば、皇室典範の男系、女系の問題にしても、男系にこだわれば、確率の問題で、天皇制が自然消滅する可能性もある。
ほんとうに、現在の上皇様の努力に応えたんでしょうか?
で、ジャータカさんは何を言いたいのか?
新天皇のこれからの象徴天皇の在り方、その模索する努力に関して、国民は真摯に応えていくべきだと思うし、かといって、たとえ男系にこだわることで天皇制が自然消滅しても、それはそれで仕方ない。
天皇制の存続に関しては、個人的にはまったくこだわりがありません。
戦後、君主制が終わり共和制に移った国もありました。
ですから、象徴君主制が終了しても自然の流れだと思います。
時代の節目ということで、ちょっと考えてみました。