立場は自分の考えの外への表明です。
過去、何回か記事にしてます。
テーラーワーダ在家仏教徒 だと表明してます。
だから、テーラワーダ仏教を調べれば、ジャータカさんは何者か?ということがわかります。
調べる、という行為は理性的です。
シンプルこのうえないです、こういったシンプルさ、好きです。
でも
日本人は、「宗教」というと身構えてしまうので、「溝」とか「壁」があると感じてしまいがちになるのでしょうか?
気になるツィートがありました。
単純に立場の違いだと考えてます、理性で立場を理解したいと思ってます。
— ジャータカ (@jataka_) May 14, 2019
基本は、仲良く、です。 https://t.co/zhOkzo9nux
人によっては、「壁」「溝」「不平等」という単語を連想してしまうのでしょうか?
調べもしないのに。
それにしても「壁」とか「溝」とか「不平等」に、理性を感じることができないなあ。
まあ。「壁」とか「溝」とか「不平等」は、私以外の誰かが思っているだけの話です、「思う」のは自由ですので、私は何もできないです。
出来ることは。
日常生活に困ったことがあったら、お釈迦様の教えを調べて、どうしようかと考えたり。
仏教は善悪が決まってるので、日常生活で悪を侵さないように注意したり。
親が日蓮宗なので、法事のときは、一緒に「南無妙法蓮華経」と唱えたり。
知り合いが浄土真宗だったら「南無阿弥陀仏」と一緒に唱えたり。
ムスリムの知り合いはいませんけど、いたら一緒に儀式に参加したり。
お互いの文化を尊重するのは大事です。
無宗教の方とも、仲良く話を聞いてあげたり。
戒律違反のお坊様にはお小言を言ったり。
回向の文 の通り、みんなを大事にして。
未だ放逸な、未熟な仏教徒ということです。
でも、「溝」「壁」「不平等」とは、離れて生活してます。
日本人は、自分の考えを外に表明するのが苦手なのかもしれません、でもやってみると意外と楽ですよ。
「自分を表に出せないのは、自分を大切にしていない証拠」
と、下記の記事にありました、すごく参考になりました。
お互いの立場を尊重すれば、「溝」とか「壁」とか「不平等」なんて、無縁なのに。
です。