ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

手離すことは難しい。

アーチャンチャー長老の著書に「手放す生き方」があります。

長老が念入りに手放すことを説いています。

 

 

[増補版]手放す生き方【サンガ文庫】

[増補版]手放す生き方【サンガ文庫】

 

 

 

私自身、心に関してはまだまだですが、モノに関しては、整理整頓は苦手ですが、身の回りのモノは少ないと思います。

 

夫婦ケンカして、家人から「出ていけ!」言われたら、ライトバン1台に身の回りのモノが収まりそうです。

 

で、話は実家の「モノ」になります。

 

概要はここ。

 

家人の実家は元兼業農家で、すごい量の木材、はさ木(刈り取った稲を干すための木)があります、他にも1回もつかわなかった畳とか、昔の家具とか、昔の収納物とか、とにかくすごい量です。

 

家人のお母さんも高齢になり、大きな納屋もモノで身動きがとれなくなり、ようやく処分を思ったのかもしれません。

 

ただ、いざ、要るものと、要らないものに、仕分けをする際、判断が鈍るというか、「まだ使える」という考えに覆われてしまい、先に進めなくなるんですよ。

 

で、話は変わりますが、私の実家もそうです、私の母は、要らないものは処分したくてすっきりさせたいと思っている人です、しかし父が捨てることが出来ない性格で、モノが増え続けています、父は今年85才ですが、まだまだ買ってきては、拾って直しては、モノが増え続けています。

 

母が父に「自転車、10台持っていても仕方ないでしょ、処分したら?」と言うのですが、「乗ることがある」ということで、処分までには至りません。

 

「まだ、使える」という単語があり、「捨てる」という単語が無いのですね。

 

今の時代、モノの処分にお金がかかります。

モノをため込むことは、損得でいうと、損なのですよ。

でも、これも、わかろうとはしません。

 

「昭和ヒトケタは、モノを捨てることができない」とか、好き勝手に言うひともいますが、ジェネレーションはあまり関係ないと思います。

 

個人の性格ですね、心の問題です。

 

 

でも、家人はこの状況をイライラしてみてます。

 

私も最初はイライラしてましたが、ある時期からやめました。

 

冷たい言い方かもしれませんが、私の実家や、家人の実家がモノであふれようが、関係ないんですよ。

 

で、モノの所有権は親にあるので、人の所有にあれやこれや言いたくないです。

 

そのとき、なだめて、捨てさせても、また溜っていきますよ。

 

 

ただ、ご本人が「この状況はやだ、身軽になりたい」と言うなら喜んでお手伝いします。

 

今回、家人の実家は、お母さんの希望だったのでお手伝いすることにしました。

それにしても8トントラック1台分はあるかもしれません。

人間の溜める心理は、実際のモノを見ると、圧倒されますね。

 

私の父親には、「捨てることができなくてもしょうがないね、でも、葬式代のほかに、処分費用100万くらい残しておいてね」と言ってあります。

 

どれだけ年をとっても、買いたい、手に入れたい、という、人間の手離さない欲がどれだけ強いか、死ぬ間際までまとわりつくかもしれない。

 

私自身、モノは減りつつありますけど、「人間の手離さないこころ」は油断できないな、と思った次第。