ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

何か新しいことを始めるとき。 誰にも取られない「ない」喜び。

 

ためない生き方  ネガティブな心を上手に消す智慧 (SB新書)

ためない生き方 ネガティブな心を上手に消す智慧 (SB新書)

 

 

 

 

 

とても良い本です。

 

引用します。

いくらためていっても、得るものはなにもない

ですから捨てることは幸せです。

これは、私が無理やり作った理屈です。

おいしいウナギ弁当が売られていても、自分が持っているお金を捨てて(使って)、それを買わないと、食べられません。

念願のマイホームには、住宅ローンを組んで、毎月財産を捨てて行かなければ、住めません。

新しいスマホを買い替えるためには、今まで使っていた古いスマホを処分しなくてはいけません。

人に優しくするためには、心を安らかにするには、怒りや憎しみの感情を捨てなければいけません。

これでわかるでしょうか?捨てた分、人は幸せになるのです。

ためることは暗くて何の意味もありません。

いくらためていっても、使わない限り(捨てない限り)、得るものはなにもないのです。

もう一度言っておきましょう。

捨てることは幸せです。

 

なにか始めるときは、前にあったものを処分したほうがいいかもしれません。

リセット、再スタートです。

ためこむと、身動きできずなにも出来なくなるかもしれません。

 

 

次はパティパダー9月号から引用します。

実践によって「ない」喜びを体験する。

次にあなたに一万円がある。あなたはその一万円で他の人を助けてあげる。街頭で子どもたちが募金活動をしていたら、千円でも寄付してあげる。また金がなくてご飯も食べればい人に二千円をあげる。自分の金を人のために使ってみる。そうすると、あなたには一万円がなくなったことで喜びが生まれるのです。一生懸命に募金活動している人に一万円寄付したとする。あなたの一万円はなくなりました。そのなくなった喜びは、どうでしょうか?一時間で消えますか?消えません。私はこのような支援活動に寄付しましたと喜びは残るのです。時間が経っても、思い出したらまた楽しくなって喜べるのです。それを取り上げることは誰にもできません。たとえ人から「そんな支援活動にいくら寄付しても意味がない。あなたはバカだ。それより美味しいものでも食べればよかったのに」と言われても、それは成り立ちません。善行為をして本人が「ああ、なんて私はバカなことをしたんだ。やめておけばよかった」とは思えません。これが「ない」世界です。

そのように「ない」ことの喜びは、ずっと続いて長持ちするのです。ヴィッパサナー瞑想は、「ない」世界を発見するための実践です。それに成功するためには、皆さんが持っている知識を破らなくてはいけません。そうでないと理解できないと思います。瞑想で認識次元を破って、乗り越えるために、訓練させているのです。

 

 

捨てることで、ふさわしいところに達するのですね。

「ポジティブエネルギー」という表現でした。

ためる必要はなく、捨てることで勝手にたまっていく、これでしたら勝手にたまってもOKです。

減らないし、誰も取り上げていかない。

 

 

ほぼ定期的に献血してます。

血は減りますが、たまに「この成分献血が誰かの役に立っているのかな」と思うと悪い気はしません。

この積み重ねなんでしょうね。