ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

無常は可能性にみちている   『ブッダの教え一日一話』

花は散る、とか

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、とか

 

イメージで誤解されまくっている無常です。

 

わかっているつもりでも、自分のことになると無常の否定にまわります。

 

 

例えば

 

 

小さいころは、あんないい子だったのに、大きくなったら手をつけられない悪い子になった。

 

なかなか治らないやっかいな病気になってしまった。

 

親しい方が亡くなった、未だに悲しい。

 

ああー、雨が降ってきた、うっとしいなあ。

 

年を取って、身体が衰えてきた、思い通りにならない。

 

 

引用します

すべての現象は無常です、瞬間、瞬間、変化しているのです。

 

 

頭やイメージでは「無常」をわかっているつもりでも。

 

いざとなると

「オレさま以外は無常なんだわ」に簡単に陥ります。

 

表題は

「無常は可能性にみちている」とありますが。

 

「オレさま以外は無常なんだわ」という人には(私も)、「可能性」はやってきませんね。

 

自ら可能性をつぶしている、ということです。

 

無常 アニッチャは、誤解にみちている。

 

下記のシリーズを再読、勉強中です。

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