引用
自分もすべてのものも、絶えず変化することを知る人は、心の安らぎを経験します。
ふだんは、
「ああー、みんな無常だなあ、オレさま以外は」
「オレさま」にも無常は適用され、例外はないです。
いま思い浮かぶ、私にとって一番受け入れがたい無常は
「事故か病気で、いきなり家人が亡くなってしまうこと」
(勝手に死なせてごめん)
ただ、理由もなく亡くなるはずもなく、死は遅かれ早かれ、来るものだし。
でも、まあ、嘆いてしまうでしょうね。
ただ、嘆く理由は、先生もおっしゃってますが「大きな損をした」ということを嘆くのでしょうね。
死ぬことは、あり得ることで、死んだことで自分自身が大きな損を被って、大いに困っている、これを嘆くのでしょうね。
結局、自分勝手なのよ、自分の都合で嘆くってことです。
ただ、想像するに、なかなか嘆きから抜け出せないと思うので、箭経(サッラスッタ)を何回でも読んで、この無常を認めるしかないですね。
うむ、サッラスッタ
裏表紙も素敵
で、無常を認めるだけでは留まらずに、認める方は「明るく、快活になります」とあります。
家人が亡くなる例は極端かもしれませんが、起こり得ることなので、これを認め。明るく快活に。
うむ、仏教は、一見、ゆるゆるのようで、けっこう厳しい。
さて、私にできるでしょうか。
うむ、ゆるゆるなのに厳しい本です。