ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

無常こそが存在のありよう 『ブッダの教え一日一話』

引用

自分もすべてのものも、絶えず変化することを知る人は、心の安らぎを経験します。

 

 

ふだんは、

「ああー、みんな無常だなあ、オレさま以外は」

 

「オレさま」にも無常は適用され、例外はないです。

 

いま思い浮かぶ、私にとって一番受け入れがたい無常は

 

「事故か病気で、いきなり家人が亡くなってしまうこと」

(勝手に死なせてごめん)

 

ただ、理由もなく亡くなるはずもなく、死は遅かれ早かれ、来るものだし。

 

でも、まあ、嘆いてしまうでしょうね。

 

ただ、嘆く理由は、先生もおっしゃってますが「大きな損をした」ということを嘆くのでしょうね。

 

死ぬことは、あり得ることで、死んだことで自分自身が大きな損を被って、大いに困っている、これを嘆くのでしょうね。

 

結局、自分勝手なのよ、自分の都合で嘆くってことです。

 

ただ、想像するに、なかなか嘆きから抜け出せないと思うので、箭経(サッラスッタ)を何回でも読んで、この無常を認めるしかないですね。

 

うむ、サッラスッタ 

 

 

 

裏表紙も素敵

 

 

 

で、無常を認めるだけでは留まらずに、認める方は「明るく、快活になります」とあります。

 

家人が亡くなる例は極端かもしれませんが、起こり得ることなので、これを認め。明るく快活に。

 

うむ、仏教は、一見、ゆるゆるのようで、けっこう厳しい。

さて、私にできるでしょうか。

 

 

 

 

うむ、ゆるゆるなのに厳しい本です。

 

ブッダの教え 一日一話 (PHPハンドブック)

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