ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

ただ、「怒り、怒り」と観る 『ブッダの教え一日一話』

引用します

「自分を観る」ためには、いまできることをやりながら、ただそれを確認するだけでいいのです。

 

 

例えば、

ラジオを聞きながら、お茶碗を洗っていて、ひどい事件の報道がありました。

 

かなり理不尽な事件で怒りがこみあげてきました。

 

このとき、お茶碗を手に取る、洗う、置く、一連の動作を観察しています。

で、ラジオを聞いて怒りが出てきました。

このとき「怒り、怒り」と観察すればいいのですね。

 

 

でも、ついつい「怒り」にコメントをつけたくなります。

 

「なんてひどい事件なんだ」「許せない」「あー腹が立つ」「気分が悪い」「犯人が憎い」とか。

 

自分の「怒り」が正しいと思っているのでしょうね、すると、コメントも増えていきます。

 

でも「怒り」自体がNGなので、かといって「がまん、がまん、鎮めよう」というのもNGです。

 

引用

ただ、客観的に「怒り、怒り」と観るのです。

それで怒りは消えていくのです。

 

 

これしかないのですね。

 

 

引用元本

 

ブッダの教え 一日一話 (PHPハンドブック)

ブッダの教え 一日一話 (PHPハンドブック)