これ読んで一番ピンときたのは。
ヴィジャヤ スッタン(勝利の経)
修行者向けのお経ですね、なかなか修行の進まぬお坊様に、お釈迦様がガツンです。
下記にあります。
ヴィジャヤスッタンの冒頭の部分ですね。
- 193.
- Caraṃ vā yadi vā tiṭṭhaṃ, nisinno uda vā sayaṃ;
- チャラン ワー ヤディ ワー ティッタン ニスィンノー ウダ ワー サヤン
- Sammiñjeti pasāreti, esā kāyassa iñjanā.
- サンミンジェーティ パサーレーティ エーサー カーヤッサ インジャナー
- 歩く、立つ、座る、横たわる、伸ばす、縮む。身体の動きはこれだけです。
本では「喋る」が入ってましたが、お経では「喋る」もありませんね。
実を言うと施本があります、すみませんが市販されてないです、欲しい方は協会にお問い合わせください。
これ。
実際の生活では、この単純さを認めようとはしないです。
いろいろな妄想概念に追い回されて、ご苦労さまな生活を送ってます。
私自身も「ご苦労様」の生活に満ちてます。
でも、ガツンと言います。
施本から引用しますね。
こちらでは身体の動きとして、六つをあげています。厳密に言えば身体の動きは、伸びる、縮む、という二つだけです。それで、みなさまの思考に真っ向から反対されている、否定されているのですが、気づいてないでしょう。恐らく、誰でも知っていることをいっているのだ、それほど面白くはないのだと思っているに違いありません。
えーと、お坊様向けなので、かなり難しいことをおしゃってます。
身体の単純な動きを示すことが、なぜ我々の思考の否定になるの?
テキストから引用します。
この単純さを認めないことが、苦しみのもとなのです。
この単純さがわからないくらい本当はいろいろなことで悩んでいるのですが、それすらの自覚症状もない、かなりの重症の状態です。
たぶん、このお経がなければ、「気づく」ことさえないでしょうね。
施本引用
強いていえば、生きることで悩んでいる。目覚めてみましょう。身体が伸びることで。縮むことで、悩んでいるのではないですか? 何をやっても、「身体の伸び縮み以外、何もないのだ」とありのままに理解できれば、どれほど楽を感じるでしょう。
身体の動きの観察で、自分の思考や感情にガツンです。