引用です
新入社員のときは苦しい。しかし中堅になればなったで責任があって苦しい。出世しても、次の世代を育てるのは苦しい。退職したら、「今日は何をしようか」と退屈で苦しい。
老いて、身体が動かなくなれば苦しい。病気になれば苦しい。死ぬのは苦しい。
いまの自分は、「身体の苦しみ」ですね。
べつに大病をしてるわけではないです。
病院に行くほどの痛みではないです。
まあ、「老い」なんでしょうね、私の個人的な感覚かもしれませんが、若いころは筋肉痛は労働の翌日くらいに出たような気がします、でも齢をとると、中一日くらいで、時間差で現れてきます、で、けっこうしつこいのですよ。
先生が法話で「細胞の言語は痛みなんですよ」とおしゃってました。
身体の細胞の言語は「痛み」です。
身体に関しては「痛み」しかないのですね、齢をとるとよくわかります。
うむ、身体の痛みとの対話も多くなります。
まあ、「痛み」に執着しないで「こんなもんだ」くらいの扱いがいいのでしょうね。
で、「苦」に拘泥しないで「いま」の行為を充実させたらどうですか?
と本ではおしゃってます。
で、「今の行為」を充実させる練習をしなければ、ですね。
で、昨日、お約束の通り、一杯の水をゆっくり飲んでみました。
今の時期、水は冷たいので白湯でやってみました。
初めての水を飲む観察でした。
充実感とか喜び、というよりも、心の落ち着きを感じました、水一杯で落ち着きを得られるのは儲けもんです、コストパフォーマンスがよろしい。
貪瞋痴、執着に塗れ、後始末に高くつく行為をするくらいなら、落ち着いて善いことをしましょ。