ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

すぐれた道とは  『ブッダの教え一日一話』

自分の心以外は借り物なので。

 

身体は死んだら離れることになるし、親族とも離れることになるし、得た財産等も離れることになるし、仕事で得た能力とも離れることになるし、ましてや日常の勝ち負けはを争うことは・・・、本当はダンマトークのお題にもなりません。

 

かといって、自分の心さえ思うようにならない。

 

 

テキストから引用

すぐれた道とは、それぞれが「自分の能力を発揮する」道です。それによって、争うことなく、自分に適した世界が開かれていくのです。

 

 

「放逸おじさん」の私は悲しいかな自分の適した能力がわかりません。

 

先生の文章についていけません。

 

 

 

ただ、せめて、これくらいはできそうです。

 

『人生はゲームです』より引用

「いまの瞬間」を堂々と生きなさい

人生は大きく全体的に考えるのではなく、きめ細かい分子に分けて、「この瞬間にこれをやります。この瞬間にはこれをやります」ということだけでいいのです。いま本を読む時間があれば、ただ本を読めばいいのです。そのときにもし「ご飯も作らなくてはいけないし、買い物もしなくてはいけないし、しかしこの本も読まなくてはいけない」などと余計なことを考えると、本も読んでいないことになりますし、またありとあらゆる苦しみがそこから出てくることになります。

 

 

結局いろんなことに気をとられて何ひとつやってない状態。

これはアウトです。

 

自分の能力はわかりませんが、日常を区切り、その中のことは、なんとかできそうです。

 

 

放逸仏教徒は、基本の基本に戻って、いまの瞬間を堂々と生きましょうよ、です。