これ読んでいたら下記の本を思い出しました。
カンポンさん、事故で寝たきりになってしまいます。
カンポンさん、病床で、不自由になった自分の体をよりどころにして、観察と気づきを実践していきます。
これ、本当に素晴らしいです。
ぜひ、買って読んでください。
万が一、自分自身が事故や病気で入院したり、病床にいても、カンポンさんのこの話を聞くと元気が出ます。
仏教徒は、どこにいても、どんな状態でもやることがある。ということです。
しかしながら、昔、痛風になったことがあり、かなりの痛みに襲われました。
ダメでしたね、痛みで我を忘れてしまいました。
観察もへったくりもありませんでした。
ダメダメで死ぬんでしょうね、ダメ仏教徒です。
テキストから引用です
死ぬ間際でも、いまの自分の痛みや身体の感覚、不自由であることなど、観察できます。
そして、これまで生きてきたのに、すべて自分から離れていくと観察すると、すぐに「無常」と「無我」に遭遇します。
「生は虚しいことで苦しみであった」と体験します。こうして死ぬまぎわまでも悟る可能性は大いにあるのです。
私見です
死ぬ間際に三相がわかり、正見をもって身体とお別れ。ということかな。
仏教徒は死ぬまぎわでも、しっかりとやることがある、ということです。