全文引用
怒るのはカッコわるいことです。
理由はどうあれ、怒るのは敗者です。
だれひとり、この人生で負けたくないのです。何事も勝利をおさめて進みたければ、いかなる場合にも怒らないことです。
怒った時点で、その戦いは自分で敗北宣言をしたことになります。
私見で恐縮です。
これ、ものすごく厳しいというか、スキのないことをおしゃっているんですよ。
仏教徒は「のんびり、のほほーん」しているように見えますが、けっこう厳しいところもあるのですよ。
下記の本を思い出しました。
私は「怒り」についての決定版みたいな本だと思うですが・・。
上記の本がとっつきにくければ
下記の本をどうぞ
でも、いずれ上記の本も物足らなくなると思うので、物足らなくなったら『怒りの無条件降伏、のこぎりの例え』をどうぞ。
『怒りの無条件降伏』に中部経典の『のこぎりの例え』の解説があります。
たとえ、賊にに捕まって、手足をのこぎりで切られようとも、相手に対して慈しみの気持ちを失ってはならない、と説きます。
例え、殺されても、相手に対して慈しみの気持ちを持ち、慈しみの瞑想は完成させななさい、ということです。
「厳しい! できるわけない」と思う方は本をお読みください。
ですから「怒った時点で敗北宣言」は、とてつもなく厳しいことを、怒りに対してスキのないことをおしゃっています。
で、仏教徒はこれの実践しかないんですよね。