ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

現世利益は苦しみに達する道 『ブッダの教え一日一話』

現世利益というと、目的は「涅槃」なのに、目的に着くまでの、どうでもいい余計なことばかり喜んでいる状態をいうのでしょうか。

 

下記リンクに現世利益の例え話があります。

j-theravada.net

 

飛行機に乗ってアメリカへ行く人の話です。

喩えで説明します。ある人がアメリカの一流の大学に入って、研究したいと思っているとします。見事大学に合格して、その人は飛行機に乗ってアメリカへ旅立つのです。十二時間の空の旅になります。普段食べない食べ物や飲み物のサービスがあります。その人は結構楽しみます。もしその人が「私がアメリカの一流大学に入学しようとしたのは、飛行中の食事や飲み物を楽しみたかったからです」と言ったとしましょう。どう思われますか?

たとえファーストクラスで飛んだとしても、飛行中のサービスは大したことではないでしょう。旅の目的は大学で行なう研究でしょう。仏道も同じことです。智慧を開発するのが目的です。途中でいろいろサービスもあります。サービスに足を取られると大損です。仏道を実践すると、現世利益は飛行中のサービスみたいに当たり前のことです。しかし機内食を食べる目的で飛行機に乗る人の頭はどうかしているのです。

 

アメリカでの大学の研究が「悟り」。

機内食は、「現世利益」です。

 

 

我々のやってることは「機内食」をありがたがってる、ということです。

 

あべこべですね。

 

 

下記リンクには、仏教と現世利益の詳しい話がでています。

j-theravada.net

 

 

引用します

それから、その理由を考えてみましょう。仏教の実践は、現世利益のために行うものではありません。
子供は別として、大人にはその腹黒い目的はないのです。「商売繁盛したければ、早起きをして、怠けず汗を流して仕事に励みなさい」というのが、ブッダの戒めなのです。仏教徒はそれを知っています。現世利益を目指して、ブッダの教えを実践することは、偉大なる正覚者とその教えに対する冒涜になることも知っているのです。では、現世利益を目指してもないのに、なぜあらゆる災難を免れることができるのでしょうか。

 

仏教の実践は現世利益のためにありません。

 

目的は「悟り」です、その副産物として出てくるかもしれない「ご利益」に執着はNGということで。