引用
いまは依存症でなくても、次の瞬間に依存症にかかることもあります。いわば依存症のキャリア(保菌者)なのです。
「私には依存しているものなんかない!」と言い張ったところで、もともと依存症のキャリアなので、完治は難しそうです。
私自身、仏教徒を自称しているので、「仏教に依存」が一番ヤバイかもしれません。
仏教にしがみついている、というか、うまくないのでしょうね。
再び法話のリンクです。
で、引用です。
なにに依存するかが問題なのではありません。依存すること自体がよくないのです。たしかに仏教を学ぶことや、ボランティア活動に励むことはいいことです。しかし、それに依存すれば、やはり自分を見失っていくのです。わたしのところに学びに来る人のなかで、よく「命がけで仏教を学びます。仏教に命をかけます」という人がいます。けれども、そういう人で修行が進んだ人はいません。「命がけ」とか「必死でやります」という人は、そのことにしがみついているわけです。「仏教に依存している」といえましょう。ものごとは真剣すぎるのもよくないし、いい加減でもよくない。だから、中道が大切なのです。
で、なか3さんのヒントになるツィート
何事も真剣にやるのは良いですが、深刻になる必要はありません。深刻になる必要のある事象は世界にひとつもありません。いつでも気軽に、極貧になっても、コロナになっても、死ぬ寸前でも、気軽に行きましょうー。
— なが3 (@naga3) 2020年3月16日
執着や依存する事象なんて、ホントは無いわな、気軽にどうぞ、ということで。