ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

いのちがけでやります  『ブッダの教え一日一話』

引用

ほんとうにいのちをかけるほど、価値のあることに挑戦しているのでしょうか。

自分の依存症をごまかしてはならないのです。

 

 

自分がやってること、価値があると思ってやっていること、時間や労力を費やしてやっていること。

 

こういったことには、価値があると思って、「命をかける」という言葉が出てくるかもしれません。

 

でも、そこには「依存」というワナが待ってる可能性があります。

 

 

関連サイト

j-theravada.net

 

一部引用

日常生活ではさまざまな問題が起こってきます。ときどき一つの問題を解決するのに命までかける人もいるようです。でも、そこまで頑張る必要はありません。問題というものは本来単純なものなのです。家庭の問題も、教育の問題も、会社の問題も、政治の問題も、すべて単純なもので、命をかける必要などありません。

 

シャバでやってることに命をかける必要も価値もないし。

 

シャバでやっていることに、自分が勝手に考えている価値観と、執着と、依存と、いのちがけ、はセットでついてくるような感じですね。

 

でも、ふだんは気づかずに、ストレスフルで生きているのかもしれません。

 

こころとからだがもちません。

 

 

話はかわりますが、

 

仏教は価値があると思ってます。

 

でも、これに執着と依存をくっつけてしまうと、おかしなことになりそうですね。

 

 

仏教はまずは理性的に理解するものなので、「いのちがけ」という言葉からは遠いと思います。

 

生きていなければ悟れないので、やってる途中に死ぬかもしれない「いのちがけ」という言葉は、やっぱりピンときません。

 

私見で恐縮です。

 

 

 

 

執着と依存のワナを説く本です。