テキスト引用
個人が充実感を感じるか不満を感じるかによって、社会の平和が左右されるのです。
私見です。
自分が苦しんでいると、まわりの調和を壊すことになります、で結局自分に回ってきて、また苦しむことになります。
苦しみの原因を他人や社会のせいにすると、社会を恨んで生きていくことになります、でも、結局、自分に跳ね返ってくるので、また苦しみます。
「充実感」がキーワードのような気がします。
ああー、そういえば本を持ってました。
「充実感」に関してわかりやすく、かといって徹底的な法話です、深く深くわかります。
いい本です。
キンドルで99円で読むことができます。
本から引用します、お釈迦様と、そのお弟子さんの「充実感」の境地です。
(前略)精進とはむちゃくちゃ頑張ることではないのです。
お釈迦様はおっしゃいました。「この一秒、この一分でやるべきことをやっておきなさい」と。これが仏教でいう「精進」です。
(中略)
お釈迦様とお釈迦様の弟子たちは、人々が捨てたものを食べ、木の下で寝て、「私こそが幸せだ」と言ってました。なぜなら、貪らず怒らず智慧を持って一瞬一瞬、充実感を味わいながら生きていたのですから。
上記の境地には未だ、きていないです。
下記だったら私にも出来そうかな。
本から引用します。
では、いったいどうすれば心に喜びが生まれるのでしょうか?それには「終わった」という気持ちが必要なんですね。「やったよ、終わったよ」という自慢に思えるような気持ち。めまぐしく回転している心には、終了宣言が必要なのです。
せめて、日々の仕事や些細な作業に「終わった!」という喜びを見出したいです。
少しは社会の平和に貢献できるでしょうか?