引用
前略
それは、悪いことを忘れないでいつまでも恨み続ける「自分の心」なのです。
あなたを攻撃したり意地悪をした人も、やりたくてやったわけではなくて、ただ真理がわからなかったから過ちを犯したのだと思いましょう。
昨日の法話です。
恨み続ける部分です、引用します。
一言によって、ずっと怒りを持ち続ける人は、電気のスイッチを入れて光が現れますが、スイッチを切っても光がずっと残るような状態にたとえられます。考えてみればおかしなことなのです。原因は一瞬にして消えたにもかかわらず結果だけは続く。何がそうさせるのかというと、心の中で自分勝手に働き続けて自己回転し続けて怒りを作り続けるのです。
「自己回転、ご苦労なこった」なんですが、私も陥る危険があります。
仕返しをするチャンスを狙っているかもしれません。
再びテキスト引用
相手に仕返しすることで、けっして幸福は得られません。
子どもが何かをしでかしても、許してあげれるように、人を恨むのではなく、許してあげるのが賢い生き方です。
「子ども」とありますが、人間すべての話です。
と、ここまで書いて ダンマパダ(5)を思い出しました。
引用
じつにこの世のおいては、
怨みにたいして怨みを返すならば、
ついに怨みの鎮まることがない。
怨みを捨ててこそ鎮まる。
これは普遍的な真理である。
引用元本です。
私見で恐縮です。
恨みは、善い心と違って、ずーっと持ち続けることができるようです。
で、怖いところは現世で終わらずに、来世にも持っていけます。
生命は仲良くしなければなりませんが、恨みをずーっと持って、来世の来世まで持ち続けると得る結果はすごく悪そうです。
下記は、ちよっと、ショックを受けた怖い話です。
下記は慈しみの集大成の本なのですが、殺し合う生命同士の話があります。
お互い怨みを持ち続けて、輪廻して、殺して、殺されて、です。
いろんなことを引きずって、こころは相手を殺しにかかります。
下記は子育ての本で、表紙はかわいいのですが、これにも「殺し殺される親子の業」について述べられています。
人間なら、お互い仲良く協力する業を作らなければならないのですが、そうではないという話もあるということです。
で、恨みに終止符を打たなければなりません。
「許す」しかないんだよなあ、たとえ殺されても。
「許す」について
thierrybuddhist.hatenablog.com
「許すべき」ではなくて、「私は許すことができます」ここに達しなければならない、ということです、これにはひたすら慈悲の実践です。
やっぱり深い本です。