ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

どこかで隙間や過ちが 『ブッダの教え一日一話』

テキスト引用

相手に間違いを厳しく指摘したり、なかなか許さない、という人がいます。

しかし、そういう人だって、自分をよく見ればいろいろな失敗や過ちがあるのです。

 

私見です

人間って、けっこう自分のことは棚に上げ、他人にことに敏感で鋭いです。

私自身、はっとするくらい、他の人から鋭い指摘を受けることがあります。

 

「自分が正しい」と思うのが原因なんでしょうね。

 

 

新型コロナウイルス関連で、残念なことがありました。

www3.nhk.or.jp

 

女性の行動は良いものではりませんが、県は必要以上に行動を詳細に記載し、メディアをそれを鵜呑みして、一部の人々はプライバシーを侵害する行為に走り。

 

「自分は正しい、相手は悪い」が、行動原理です。

これって、うんざりです。

ひとつも良い結果がないような気がします。

 

 

話はかわります。

「自分のことは棚に上げる」という先生の法話があります。

j-theravada.net

 

 

引用します。

では、答えは何ですか。「完璧・完全」という観念に問題があるのです。この世で完全な人は過去にもいなかったし、現在もいないし、将来も現れない。他人のことを見ると欠点が見られるのは当然のことです。その瞬間で、自分が正しいという前提に立っているのです。他人が不完全なら、自分も不完全です。それで我々は、互いに心配し合って、慈しみ合って、協力し合って、人格向上に仲良く励まなくてはいけないのです。他人の欠点は自分に見える。自分の欠点は他人に見える。そこで、仲良く意見交換して成長すれば良いのです。これが釈尊が説かれる、調和を保つ、競争のない、平和な生き方なのです。この場合も、善を判断する基準に基づいているのです。それは、自分も他人も幸福になる生き方なのです。人格は必ず向上する道なのです。

 

「自分が正しい」といがみ合っているヒマは本当はないです。

他人が不完全なら自分も不完全、仲良く成長すればいい。

 

今のコロナ騒動でも、役に立つ法話だと思います。