テキスト引用
世の中の人は、自分たちは批判されない場所にいながら、他を責任追及して、ぶんなぐりたいと思ってアラをさがしているのです。
怒りのはけ口のために、叩きやすいだれかをみつけようとしています。
私見です
理性を持って調べて疑問を持つのは大事なことだと思うのですが、貪瞋痴で人のアラさがしをするのはヤバイです。
ましてや、絶対に間違いを犯さない完璧な人間なんていないし、間違いをする可能性を持った人間が貪瞋痴で他人のアラ探しをするのはやっぱりヤバイ。
現代人は「時間がない、忙しい、忙しい」と言いながらも、アラ探しの時間はきちんと捻出できるようです。
えーと、以上のことは、私自身にも言えることです。
偉そうなことは到底言えません。
下記にアトゥラさんのお話があります。
引用します。
「昔も今も、これは全然変わらない。黙っていても批判される。話が長すぎても批判される。計算して適度に喋っても批判される。批判されない人はいません。また、Atulaよ、極端に非難される人も、極端に賞賛される人も、昔もいなかったし、今もいないし、将来も現れない。」
お釈迦様は「ものごとは不完全である」という立場でアトゥラさんとその仲間を叱ったのですね。
テキスト後半引用
弁解できない弱い者を一方的に非難するのは、世の常です。それはハイエナが弱い動物を食べて肥えるようなものです。
上記は慈しみのない貪瞋痴に覆われているんでしょうね。
悪い人間の例えに「ハイエナ」が使われます、ただハイエナは人間と違って貪瞋痴に塗れた必要以上の殺生はしないし、野生動物の役割を自分の生態の範囲でまっとうしてます。
うむ、ハイエナ以下にならぬよう気を付けます。
下の下の人間にならぬよう警告する本です。