ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

人をどうこう言えるほど立派か 『ブッダの教え一日一話』

テキスト引用

自分というものは、人のことを、どうこう言えるほど立派ではないのです。

「あの人は間違っている」と指摘しても、自分がその立場になったら、同じことをする可能性があるのです。

 

自分のことは棚にあげて、人のことばかり気になり、人権侵害や人権侵害すれすれのことをやってしまい、かといって、人から指摘されたら腹が立つ。

 

どうしようもないです。

 

 

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「自分が正しい」と思っているし、上記の法話のように「自分は賢い、知っている」なんでしょうね。

 

上記法話より引用です

「自分はなにも知らない」として学びつづける人は、かならず花が咲きます。人はいつ学ぶのが終わるかというと、それは死ぬ瞬間です。「学ぶのは死ぬまで。教えてもらうのは死ぬまで」。インドにはそういうことわざがあります。

 

 

 

自分のこともきちんとできないのに、ましてや人のことを指摘するなんて、本当は成り立たない、これができないということは、やっぱり心の中が貪瞋痴に塗れているのでしょう。

 

私もそうですが、謙虚さを失い、他人のことが気になったら、その危険に近づく可能性がある、ということですね。

 

 

気をつけなくては。