ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

殺人者があらわれること 『ブッダの教え一日一話』

引用

一人の人が孤立して怒りや憎しみに固まって無差別に人を殺すことがあります。

そのような理不尽な犯罪が起こる原因は、社会全体にもあるのです。

 

 

私見です。

 

無差別殺人とか、通り魔事件、ニュースで目にすることがあります。

 

ジャーナリストの篠田博之さんのブログからです。

いろいろな無差別殺人の共通する点と、なぜ個人的な動機がこれほどまで凄惨な事件になるのか、その疑問が述べられています。

www.the-journal.jp

 

傍から見れば、些細なこととは思うのですが、本人はそうとは思わない、その些細な動機が凄惨なことになる。

 

 

 

先生は、「原因は社会全体にもある」とおっしゃいます。

 

下記法話を見つけました。

www.dananet.jp

 

上記法話から引用します。

その男は、殺人を犯すところまで孤立していたのでしょう。かれが怒りでこりかたまっているとき、なぜ周囲の人がかれの気持ちを理解してあげられなかったのでしょうか。なぜ未然に殺人をやめさせることはできなかったのでしょうか。
結果として、それができなかったということは、わたしたちの社会も、同じように罪があるといえるのではないでしょうか。

ましてや未成年が罪を犯したのなら、大人の社会にも責任があります。少年は、犯罪者であって、同時に被害者でもあります。なんとか助けてあげなくてはいけないのです。

 

 

よく、こういった事件が起きると、犯人の個人的動機、性格、生活環境、生い立ち、など、犯人個人の事柄ばかり取り上げられます、そこばかりがクローズアップされます。

 

そのとき、私たちは傍観者で、「犯罪をやったヤツが悪い、我々は関係ない」と思ってニュースを見ているのでしょうね。

 

そのとき「自分は正しい、ヤツは間違っている」が入っているのでしょうね。

 

ここに「社会にも原因がある」の理由の一つがあると思います。

 

 

こういったニュースに接する際、自分のヤバイ心に気づく、いい機会になるかもしれません。

 

 

時事問題にも目を向けるきっかけを作る本です。