短いので全文引用
戦って勝つことが、幸福への道ではありません。
戦いを挑んだら、勝つ人は一人もいないのです。
負けた人は、負けて悔しい思いをします。
勝った人は、負けた人に恨まれます。
さらに敵が増える結果になります。
勝ってもいいことはないのです。
私見です。
学校教育で、成績の良し悪し、順位で、勝ち負けというか、それをイヤでも体験させられます。
社会に出ても、それはついて回ります。
「それ」って、競争や勝ち負けです。
悲しいかな勝ち負けの論理が体に染みついてますね。
下記はそれに関する先生の法話です。
なぜ「競争原理」が体に染みついて、それをやり続けるのか。
先生は「それが人間のありよう」だから、と話します。
競争といえば、聞こえはいいですが・・・
輪廻で積み重ねた生きていくための争いが元なのではないでしょうか。
参考にした法話
上記法話から引用します。
なぜ、そのような争いを起こそうとするのでしょうか。
じつは、それが人間のありようだからです。わたしたちには、無限の過去があります。さまざまな生命として、生と死を繰り返してきたのです。人間である以前の、それこそ虫であったような過去から、わたしたちは自分を守るために、相手をつぶすということを繰り返してきました。そのため今もって、そういう争いの心をもちつづけているのでしょう。すべてのものは、完全ではありません。さがそうとすれば、不完全なところはいくらでもあります。だから、そういう欠点だらけの人間同士が、相手の欠点をさがし合っていてもキリがありません。
で、ダンマパダの有名な偈がありますね。
勝利者が勝ち取るものは敵意である。
敗れた人は苦しんで萎縮する。
心穏やかな人は、勝敗を捨てて安らかに過ごす。「ダンマパダ」(201)
えーと、「勝敗を捨てて安らかに過ごす」とありますが
世間にありようから逃げる不戦敗の道ではありません 。
「あいまい、中途半端、腰抜け、臆病、優柔不断、ひきこもり」そういう単語から離れる道です。
上記法話で、お釈迦様は競争を争う道ではなく、別の道を説いてます。
じっくりお読みください。