全文引用
末期の人をお見舞いするときは、「がんばってください」と言わないこと。「そのうち治ります」と言わないこと。
「いまの状態はどうでしょうか」と聞くのです。
末期の人は、自分の苦しみと不自由を語るでしょう。それは語らせてあげる。
ただそれを聞きながら、「人生というのは、だれでもそんなものです。結局はすべて虚しいのですよ」と相づちを打ってあげる。
最後に、「やっぱりきれいなこころでいるしかなにのですね」と話を終了するのです。
私見です。
以前書いた文章を思い出しました。
お釈迦様が病気になったお坊様をお見舞いに行く話です。
この本です
引用します
前略
ですから病気になったらどうすべきか、という問いへの答えが、この経典にあるのです。
1
感覚を観察しなさい。
2
感覚に囚われないようにしてください。
治る病気だったら、早く治りますよ。どうしても治らない病気であっても、ちゃんと釈尊のアドバイスを実践すれば、その人が解脱に達する可能性は大いにあります。「この感覚は二度とごめんだ」ということになるのですから。お釈迦様は、不治の病で倒れた人にも、せっかく人間で生まれたので、その人生を大成功に達して終えられるようにしてあげているのです。
仏教では空腹も病気なので、あまり病気ということを問題にしてないというか、病気云々の話はありません。
病気に有無にかかわらず、すべての方に向けた話だという印象を受けました。
下記の本も良かったです。
事故で体に後遺症が残り、その入院生活の話があります。
徹底的に気づきに集中しています。
仏教徒の目標になります。
偉そうなことばかり書きましたが、実際、自分が病気になったとき、こころが散乱して、気づきどころではなく、だらしなく過ごした思い出ばかりです。
日頃の実践が大事だと、改めて思い知らされます。
お見舞い話でしたが、いつのまにか「自分が病気になったらどうする?」になってしまいました、失礼しました。