ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

どんなに獲得しても、完成はない 『ブッダの教え一日一話』

全文引用

生きるということはチャレンジです。

生きていくうえで、何かを獲得するために、いろいろなことにチャレンジします。

しかし、何かを獲得しても、完成というものはないのです。

音楽で一流になっても、世界の頂点に達しても、完成ではないのです。もっと優れた人が出てくるかもしれない。

いくら獲得しても、完全に満たされたということ、やりおえたということは、なりたたないのです。

 

 

私見です。

 

先生の法話で「人間のやることに絶対はない」を思い出します。

 

絶対はない=完成はない、と理解してもよいのではないでしょうか。

 

絶対なことはできないし、自分を追い越した相手もできないし、誰も絶対なことはできない。

 

で、ここで、下記の言葉を連想しました。

 

「渇愛」

 

その物事が「好き」だからやる、ということもあるでしょう。

その場合も納得することはないし、もっとやりたい、が続くでしょう。

 

下記法話では、「物事は納得する以前に消えてしまう」とあります、どういうことでしょう、ご覧ください。

j-theravada.net

 

 

「渇愛」は、日常生活で悲しいかな、大活躍してます、私自身も自分の渇愛に塗れてます、ましてや自作自演の渇愛、もっと悪いことに、その自作自演を自覚してないかもしれません、ヤバイ、ヤバイ、です。

 

自作自演を破るヒントが下記の法話にあるかもしれません。

j-theravada.net

 

 

 

 

なぜか「渇愛」の話になってしまった本です。