全文引用
教えが正しいものであれば、その教えは誰からも守ってもらう必要はないのです。
誰がどう反論しようが、真理そのものは崩れることはありません。批判しようという人がいたら、かえってそれを学んで納得してしまうのです。
「批判は禁止する」「疑問を抱くな」という宗教があれば、その一点だけをとっても、真理ではない。教えが間違っていることがわかるでしょう。
私見です。
宗教で、自分たちの教えが正しい、「守ろう」する行為自体、真理ではないという証明になってしまう。「アウト!」なんでしょうね。
でも、世界のほとんどは真理を認めないですね。
例えば「生物の進化論」という真理というか科学的な事実があります。
北米では宗教を盾に認めようとはしませんね、むしろ攻撃されてます。
下記に真理についての法話があります。
ちょっと引用します。
たとえば進化論は、今もアメリカでは厳しい批判を受けています。化石などを調べて人間の進化を語っているが推測に過ぎない、証拠は不充分、などと攻撃されるのです。「神が人間を混乱させるために、意図的に地球の古い地層に化石を埋め込んでおいた」と吹聴するほど、進化論反対派は自信満々です。しかし細胞の構成や遺伝子の研究から、「生命は皆、止まることなく進化し続けているのだ」ということは科学的に証明されている事実です。世間は、事実を素直に認める性格は持っていないのです。伝統的なこと、信仰、迷信、先入観、文化的価値観などが、優先的に信頼されます。人間の頭に事実を植えつけるためには、けっこう戦わなくてはいけない。それは時間がかかる作業なのです。
真理を知ったほうが、認めたほうが、よいに決まっているのです。病は悪霊の怨念・神の裁きなどの結果だというよりは、ウィルス・細菌などに感染しているのだと認めたほうが、人間は助かります。それでも、真理・事実をこの世で通用させるのは難しいことです。「真理のみが勝利を得る」という先に述べたフレーズを現実に合わせて訂正するならば、「真理のみが勝利を得るべきである」とせざるを得ないのです。
悲しいかな
人間は、真理や事実より、いままで自分が親しんできた文化とか信仰を大事にします。
根拠はないのに大事にします、貪瞋痴に当てはまる行動なんでしょうけど、改めようとしない。
ここは疲れる話なので飛ばします。
上記リンクの法話では、お釈迦様の説いた真理(ダンマ)についての説明があります、ガツンと学びたい方はぜひどうぞ。
もっとガツンと学びたい方は下記の本をどうぞ
「ブッダは真理を語る」の章がいいかもしれません、難しい仏教用語はなく、身近なことから お釈迦様の真理についての法話です。
6月は「真理」についてでしょうか。