短いので全文引用
証拠にもとづいて成立した真理は、信じる必要がありません。
「地球が丸い」というのは客観的な事実だから、信じる必要がないようなものです。
「宇宙に生命はいるか」「神は存在するか」については、「信じるか、信じないか」ということになります。
なぜなら、それらについての客観的な証拠はないからです。
私見です。
先生はいたって当たりまえのことをおしゃってます。
我々のほとんど多くは、証拠にもとづかないことを、貪瞋痴にもとづいて「信じよう」としてますね。
無駄なことですね。
私も無駄なことばかりしています。
お釈迦様は、解脱に到るまでのやるべきことを説きました、そのやるべきこと、到る目的、それらが真理になります。
仏教の「信」(サッダー、信仰という意味ではありません)にもとづいて実践すれば、証拠にもとづかない無駄な行為が減るかもしれません。
お釈迦様の説いた真理を自分で確かめながら実践する、ということかな。
「生きることは苦である」は真理だし、
「信仰よりは信を」が仏教的立場です。
下記、詳しい法話です。
「なんと無駄なことをやっているのですか」と教えてくれる本です。