ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

ブッダが説く「信」とは 『ブッダの教え一日一話』

引用です

仏教への「信」を確立するというのは、ブッダの説かれた真理を自分自身で調べて、理解して、納得することです。

中略

ですから、仏教が説く「信」は、「確信」と理解したほうがよいのです。

 

 

私見です

 

「信」 サッダーについてですね。

下記のリンクに詳しい説明があります。

浄心所にあたるのですね。

j-theravada.net

 

 

引用します。

1.saddhā

自由で正しい判断による確信

サッダー(信)は、自分の自由で正しい判断によって何かを信頼したり信じたりすることです。
サッダーは心の汚れ(欲や怒りなど)を沈めて心をきれいにします。それは人を明るく活発に行動させるための基本的な心の状態です。でもいくら行動的になったとしても、何か悪い行為、たとえば他の生命を害したり何かを盗んだりするのであれば、それはサッダーによる行為ではありません。世の中に活発に活動しているように見える人々はたくさんいますが、ほとんどの人々は自分の欲や怒りのエネルギーで行動しています。行動の動機が欲や怒りであれば、その行動は当然悪い行為になります。サッダーによる行動かどうかは、自分も周りも明るく幸福になる行為をしているかどうかで判断することができます。

仏教では「仏法僧(三宝)を信頼して、道を歩んでください」と言っています。仏とは自ら悟りを開かれたお釈迦さまのこと、法はお釈迦さまが説かれた真理、僧はお釈迦さまの教えによって悟りを開いた人々です。三宝を信頼するためには、お釈迦さまの教えを勉強したり実践したりして、自分で確かめて納得することが必要です。サッダーはきちんと自分で得た確信です。何も実践しないでただ信じるだけでは、しっかりした確信にはならないのです。

 

 

自分自身で調べる

理解する

実践と納得

確信となる

 

この一連の流れが「信」なのでしょうね。

 

 

 

あと、下記リンクには「信」を確立する過程を歩もうとするのはいいけど、解脱の目的を忘れて「寄り道をする」危うさを説いてます、「からっぽのポーティラ」は有名なお話ですね。

j-theravada.net

 

 

テキストの6月のテーマは、「信」サッダーなのでしょうか。