ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

確信は自由への道 『ブッダの教え一日一話』

テキスト引用

正しいか否か、なぜそのように言われるのかと、我々はしっかり調べて、自分自身の責任で納得していくべきです。このプロセスは、仏教が推薦する「確信」への道なのです。そういう態度を貫きとおせば、マインドコントロールされたり、支配されたりすることがなくなります。

 

 

私見です。

 

私自身、特定な人を信じてるわけでないので、その人からマインドコントロールを受けてるわけではない、と勝手に思っているのですが。

 

特定の人ではなく、昔から続いてきた「習慣」とか、その地域の「文化」とか、自分が小さな頃から周りの人々がやっていたので、自分も疑うことなくやってしまう、とか。

 

誰かワルモノがいて、私にマインドコントロールをかけてやろう、という話ではなくて、その地域で小さい頃から、受けてきた文化、習慣に、自覚することなくマインドコントロールを受けるのですね。

 

例えば、飲酒習慣、「お神酒」なんて言葉があるくらいですから、文化と習慣に根付いてますね、飲むことが当たり前です。

 

でも、ここ最近は飲酒の害が言われてます、仏教も「離れてみれば」と言ってます。

たぶん善いことではないですね、善いことではないことからは、なるべく離れていたいですね。

 

 

ここはガツンとカーラーマ族の話を思い出します。

引用します。

『カーラーマ族の人々よ、あなたがたが疑うのは当然のことである。そして、疑いのあるところにまどいは起こるものである。
あなたがたはある説かれたものを真理として受け取るときに、

  1. 人々の耳に伝えられるもの、例えば秘伝や呪文じゅもん、神の啓示などに頼ってはいけない、
  2. 世代から世代へと伝え承けたからといって頼ってはいけない、
  3. 古くからの言い伝え、伝説、風説などに頼ってはいけない、
  4. 自分たちの聖書や教典に書いてあるからといって頼ってはいけない、
  5. 経験によらず頭のなかの理性(思弁)だけで考えることに頼ってはいけない、
  6. 理屈や理論に合っているからといってそれに頼ってはいけない、
  7. 人間がもともと持っている見解等に合っているからというような考察に頼ってはいけない、
  8. 自分の見方に(けん)に合っているからというようなことだけで納得してはいけない、
  9. 説くものが立派な姿かたちをしているからといって頼ってはいけない、
  10. 説いた沙門が貴い師であるというような肩書などに誤魔化されてはいけない、

カーラーマ族の人々よ、もしあなたがたが、これは不善である、これはとがを持っている、これは智者によって非難されている、これらの行為は不利益と苦を招くものであると、自分自身で知るならば、あなたがたはそれらのことを捨て去るべきである。』

 

下記のリンクにあります。

j-theravada.net

 

 

 

世の中の、もしくは自分の心の中の、巧妙で狡猾なマインドコントロールのトラップに陥らないこと、これに仏教は役に立ちます。

 

まだ、自由を得た実感はありませんが、少しは自分で確かめる癖はついたみたいです。

 

 

うむ、まだ自由への道は遠いです。