全文引用
「信仰」とは、教祖や言い伝えに説かれる「偉大なる力」にひれふすことを言います。偉大なる力に、正直に、真面目に、素直に従うことです。
そうなると、信仰と引き換えに、自分の自由を相手に預けてしまうことになります。自分の自由を失うのですが、弱い人にすれば、楽に生きられる道なのかもしれません。
仏教の「確信」は、「信仰」とは違います。「確信」にいたる道は、自ら真理を発見して、究極の自由を獲得することで完成するのです。
私見です。
何も言うことがないです、先生の文章は短くて完璧なんだよなあ。
「偉大な力」ってなんですかね?
たぶん神様や教祖様の「偉大な力」ということになるんでしょうが・・・。
私は先生の法話で言うところの「弱い人」にあたると思うのですけど、楽に生きるほうがいいです。
かといって、仏教のおかげで「調べる癖」」がついたので、いろんな宗教の「教義」を自分なりに調べると、けっこう「?????」があります。
「?????」を放っておいて信仰生活をするわけにはいかないので、相手に自分の自由を預けてはいませんが、かといって究極の自由も得てないです。
調べることを放棄して、自分の自由を預けることはしてませんので、まだ「マシ」のほうかもしれません。
自分のいまの状態を見直すことができる本です。