テキスト引用
ブッダは真理とは「普遍的でなければいけない。矛盾があってはいけない。例外があってはいけない。だれもが実践できることでなくてはいけない」と述べています。
アインシュタインの相対性理論が「E=mc²」という単純な式に表されるように、真理というものは、凝縮された表現になります。
私見です
真っ先に思い浮かぶのは三宝の徳の偈文
「法の六徳」ですね。
Svākkhāto① bhagavatā dhammo
スワーッカートー バガワター ダンモー
世尊の法は ①善く、正しく説き示された教えです。
Sandiṭṭhiko② Akāliko③
サンディッティコー アカーリコー
②実証できる教えです。③普遍性があり、永遠たる教えです。
Ehipassiko④ Opanayiko⑤
エーヒパッスィコー オーパナイコー
④「来たれ見よ」と言える確かな教えです。⑤実践者を涅槃へ導く教えです。
Paccattaṃ veditabbo viññūhī⑥ ti.
パッチャッタン ヴェーディタッボー ヴィンニューヒー ティ
⑥賢者たちによって各自で悟られるべき教えです。
Dhammaṃ jīvita pariyantaṃ saraṇaṃ gacchāmi.
ダンマン ジーヴィタ パリヤンタン サラナン ガッチャーミ[以上の徳が具われる]ダンマに、私は生涯帰依します。
引用元は下記になります。
上記の偈文からは、お釈迦さまの教えは
1
善く、正しく説示されている教え
そうですね、お釈迦様の教えは具体的です、曖昧なところはありません。
2
実証できる教え
自分で実践できます、変な言い方で恐縮ですが、実践して不利益を被ったことはありません、世俗的な、経済的な不利益はありますけど、自分の心への不利益は無いですねえ。
3
普遍性があり、永遠たる教え
後述します。
4
「来たれ見よ」という確かな教え
お釈迦様の教えの概要を伝えている偈文です。
どこにも「信じなさい、信仰しなさい、信じればいいことがあります」なんて言ってません、教えの特徴を伝えているだけです。
で、気になる言葉は
「Ehipassiko」エーヒパッスィコー
「来たれ、見よ」です。
本があります。
うむ、施本なので、どこにも売ってないみたいです、欲しい方は協会にお問い合わせください。
本から先生のお話を引用します。
先に結論を申しますと、なぜ(仏教は)「誰でも理解できる」と言うのかといいますと、仏教はどんな人にも関係があり、すべての人に共通することを教えているからです。人だけではなく、神々や動物、生命全体に共通することを説いているのです。すべての生命に関係があることですから、だれでも「わかりやすいはず」です。「わかりやすい」ではなく、理解しようとしない人には理解できませんから、「わかりやすいはず」と言っておきましょう。
本では、「Ehipassiko」「Come and See」「来て、見てください」
上記を主題に先生の法話が掲載されています。
で、お経の3番目
「普遍性があり、永遠たる教え」
真理ということですね。
本ではさらっと書いてます。
四聖諦の一番目の苦聖諦。
引用します
苦聖諦とは、次の八つです。
生まれること
老いること
病気になること
死ぬこと
好きな人と別れること
嫌いな人に会うこと
思い通りにならないこと
五執蘊(色・受・想・行・識)を持つこと
「こんなの当たり前じゃん」と思う方もいるでしょう。
でも、私も含め、世の中は、これを認めようとしないのですよ。
バカな私はこの「苦」を、やっと認めようとしている最中です。
で、仏教はこの「苦」を解決する道を説いた教えです。
うむ、ここまで書いて、「わかりやすい」より、「わかりやすいはず」だと実感した次第です。