ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

「いいこと」は実感でわかる 『ブッダの教え一日一話』

引用

「なぜいいことをすべきなのか」と、あえて説明しなくても、それは自分の「実感」でわかることです。

中略

「いいこと」が苦しいのは瞬間だけ。後は思い出すたびに、楽しいのです。

 

 

私見です

 

悪いことって、やりやすいです、すぐにできます、そのときさえ良かれって感じです、そのときは良かったですけど、後から思い出すと何一つ自分のためになっていないというか、行為なんですけど、自分の心に良くないことをしているのでしょうね。

 

善いことは、後から思い出しても不快にならいというか、悪くはないです、善いことは自分の心にとっても良いことなんでしょうね。

 

 

下記の質疑応答

「前の業なんてわかるわけないのだから、そこそこ道徳を守ってればいいのではないですか?」

で、先生が答えます。


善行為はほどほどで大丈夫? 「善」とは遺伝子に逆らう挑戦である|ブッダの智慧で答えます

 

 

「そこそこ」「ほどほど」は怠けなので、やっぱりNGです。

 

 

「いいこと」「よいこと」「善行為」は、こころに善いことなので、出し惜しみすることなく、やる、ということです。