引用
「なぜ悪いことをしてはいけないのか」ということも、自分で実感できます。
嘘をついたり、殺生したり、他人に迷惑をかけたり、悲しみを与えたり、そういう悪いことをすると、自分自身が悩み苦しむ結果になるのです。
中略
「悪いこと」が楽しいのは瞬間だけ、後は思い出すたびに苦しいのです。
私見です
思ったのですが・・・。
仏教の善悪を学ぶと、やってはいけないことが身につきます、万が一、悪いことをやってしまうと、後悔はNGなので、懺悔です。
でも、例えば
親や身近な人から、善悪や道徳を学ぶことがなかった、という人。
目の前の刹那的な楽しみを求めて、次から次へと悪いことをする人がいるかもしれません。
悪いことをしても、後悔はない、思い悩むこともない。
という人もいるかもしれません。
でも、「業」」の観点から見ると
「業」は死んでも付いて回ります、死んでもチャラになりまぜん。
善いことをして、善業が貯まっていくのは嬉しいです(どれだけ貯まっているかは、わかりませんが)
でも、同じように悪行為で生じた「悪業」も貯まっていくのでしょう。
自分の楽しみだけのため、刹那的に悪行為して、悪行為をした、という自覚さえないまま「悪業」を溜めていく。
で、いずれ「業」が結果を出しにきます。
自分がやった行為の結果は、すべて自分が受け取らなければならないので、悪い行為によって生じた悪い結果も、すべて受け取るということです。
で、そのとき、泣いて悲しんでも、ねえ・・・。
泣いて悲しんでも、その結果が生じた原因の自覚もなければ、もっとヤバイということです。
ここまでヤバイ人はいるのかなあ。
自分のやったことは死んだあとも付いて回るので、どうせやるなら善いことを、です。
自分の実感に気づきましょ、です。
いつの間にか「業」に脱線してしまいました。