ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

説教師は嫌われる 『ブッダの教え一日一話』

全文引用

如来(仏)の定義のひとつに、「説いたとおりに行う。行ったとおりに説く」「行ったことを説く。説いてるとおりに行う」ということばがあります。

私たちも、他人に語るように自分でも行うようでありたい。自分が行ったことを、他人に教えてあげるようでありたいものです。

自分で行わず他人に言うのは、ただの説教です。人々はうるさいと思うでしょう。説教師が嫌われるのは、当たり前のことです。

 

バリバリの私見です

 

説教というか、自分の考えを押し付けるような話し方、押しつけが匂うような話し方、これにうんざりするんでしょうね。

 

テキストには

「自分で行わず他人に言うのは、ただの説教です」とあります。

 

説教と名がつくものは、ほとんどが中身の無い、これなんでしょうね。

 

自分のことは棚にあげて好き勝手にモノを言う、それを「説教」と言う。です。

 

「説教」という言葉自体が宗教がらみなので。

 

まじめなお坊様の法話はありがたく拝聴しますが、我々と同じ在家、不真面目が匂うようなお坊様の説教はイヤだなあ。

 

昔から全世界のいろいろな宗教で破廉恥なスキャンダルがありました。

こういったお坊様や宗教者も説教をしたのでしょうね。

 

 

と、言いつつも、油断してると「自分が正しい」という考えに囚われると、私も説教者に陥ることがあるかもしれません。

 

 

説教よりも、自分の体験談(失敗談ばかりですが)を明るく楽しくおしゃべりできるほうがいいですね。

 

 

 

説教はノー、です。