ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

人には説教したがる  『ブッダの教え一日一話』

短いので全文引用

私たちは、説教されるといい気がしません。

ところが他人には、「しっかりしなさい」「がんばりなさい」「ちゃんとやりなさい」と言うのが大好きです。

でもそれは、「私の言う通りにやってもらいたい。でも私のことはほうっておいてほしい」と言うのに等しいのです。

 

 

私見です

 

昨日の続き

「自分で行わず他人に言うのは、ただの説教です」

 

自分のことは棚にあげて好き勝手にモノを言う、それを「説教」と言う。です。

 

 

 

自分も含めて、なぜ私たちは説教(他人にあれやこれや言うこと)が大好きで、ついついその罠に陥ってしまうのでしょうか?

 

 

なぜ、陥ってしまうのでしょうか?

 

 

 

先生のおっしゃる通り、他人には慈しみで接しなければいけません。

 

でも、それを忘れて、自分も実践してない、役に立たないことを他人にあれやこれや言う。

 

ロクでもない自分のことは棚に上げて、他人に好きなことを言う。

 

そこには慈しみはありませんね。

 

 

元々成り立たない行為なんでしょうけど、懲りずにやろうとするのですね。

 

 

 

人に説教をしようとする自分がいたら、「貪瞋痴にやられまくってるぞ」とか「慈しみはどこ?」と、なんとか気づかないとです。

 

気づいて、今やるべきことに戻ってこなければ、です。

 

 

説教はかなり根深い問題です、さて、私は役立たずの自分にうまく気づくことができるでしょうか?