テキスト引用
「忙しい」と言う人は、じつは頭の中ので妄想がグルグルと回っているのです。
無駄に生産性のない妄想に時間を取られているのです。さらにそれは、精神的なダメージにもなります。
私見です
この法話を読んで下記の本を連想しました。
ずばりの題名です。
忙しい状態で
時間は有限だし、自分の能力にも限りがあります。
まずは、「やりたいこと」「やらなければならないこと」に分けます。
で、「やらなけらばならないこと」に取り組みます。
でも、この「やらなければならないこと」にも落とし穴があって、悩みはついて回ります。
『「忙しい」を捨てる』より引用
私たちは、そうやって、自分の「やらなければならないこと」「義務」を増やしてますが、一度、それらを理性的に精査してみてはいかがでしょうか?私たちの「やりたいこと」は無制限に生まれてきます。しかし、時間とは限りのあるものです。私たちは、一つの時間に、ただ一つの仕事しかすることはできないのです。
それなのに、多く人々はその真理を理解しようとはしません。そして、その一つの時間にやるべき仕事を疎かにして、妄想したりしています。そうすると、その一つの時間にやるべき仕事ができなかったことになるのですね。
すると、そこにその一つの時間にやるべき仕事をやらなかったという、新たな悩みが付け加えられることになるのです。
やりたいこと
心配事
過去のこと
未来のこと
いろいろな妄想が頭の中を駆け巡り、いまやるべきことが疎かになる。
で、「いまやるべきこと」さえも、妄想の落とし穴があるので、理性的に精査する必要がある。
「いまやるべきこと」が本当に「いまやるべきことなのか」です。
先生は、「一度」理性的に精査してはどうでしょうか、とおっしゃいます。
でも、物事はどんどん変化してますので、そのつど、そのつど、そのときに適切なことをするべきなのでしょうね。
何か物事をする、というのは、もともと具体的な話なので、ほんとうは「妄想」とか「忙しい」とか、そんな言葉は存在する世界ではないのでしょうけど。
頭の中が貪瞋痴にやられているので、うまくいかない。
うまくいかないということは、貪瞋痴にやられている証拠でもあります。
妄想まみれにガツンとです。