ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

知識ではなく智慧が不可欠 『ブッダの教え一日一話』

短いので全文引用

知識は、なくては困ります。

しかし、ありすぎても困るのです。

知識は増えれば増えるほど、人生は重くなります。そして、その知識はいつか消えてしまいます。

欠かせないものは、知識ではなく、智慧なのです。

智慧とは、その瞬間に、正確に何をすべきか、ひらめくことです。

 

私見です

 

先生の法話を聞いて、未だに、智慧で物事を成した、という経験がありません。

 

ふだんの生活はどっぷりと「知識」によるものです。

 

 

 

知識と智慧の違い

j-theravada.net

 

 

上記からズバリ引用

苦を増やす知識

この喩えで、仏教の智慧の世界はどのようなものかと説明します。生きることは苦なのです。何をしても、苦が別な苦に変わるだけです。友達が居ないとそれが苦です。友達が居るとその関係で苦が起きます。人が知識を得るのも、苦を無くす目的です。しかし知識を得て振り返ってみたら、苦が増えただけではないかと発見します。智慧とは、なぜ苦しみが起こるのかと発見することです。それからその原因を取り除くことです。それで一切の苦が消えるのです。それが出来た人には、この世にある如何なる現象であっても、それを知っていることになるのです。

最終的な解決は智慧です

仏道実践を始めたら、智慧がジワジワと現れてきます。智慧が現れた分、人生は楽になります。いくら知識があっても、智慧には叶わないのです。わずかな智慧がある人でも、知識人などよりも瞬時に、正しい生き方を発見するのです。問題が起きたら、すぐ正解がみつかるのです。知識は概念をためる働きではなく、物事をありのままに観られる能力のことです。知識には完了はないが、智慧には完了があります。智慧のある人は、普通の人間と同じであると思ってはいけないのです。

 

 

私自身、智慧は未だに経験してませんが、知識で物事を行っている、という実感はあります。

 

例えば、ある問題が起きて、取り組んで解決する、でも時間が経つと、その解決案が新たな問題を引き起こす。とか。

 

行った当時はベストな解決方法だったけど、時間が経って、新たな問題が出てくる、とか。

 

あっちを立たせば、こっちが立たない、こっちを立たせば、あっちが立たない、でキリがない。

 

知識でやっていることって、しょせんこんなことなんでしょうね。

 

上記法話では「知識には完了はないが、智慧には完了があります」と先生はおしゃってます。

 

 

やってもやってもオチが無いのはマズイんでしょう、いまはそれを自覚している状態です。

 

智慧が無いことを自覚させてくれる本です。