短いので全文引用
あれもこれも、とりとめもなく考えるのは、じつは「考えていない」ということなのです。
深く考えているようでも、それは智慧のある人とは言えません。
智慧のある人は、すぐに答えが見えるので、考える必要がないのです。
バリバリの私見です。
「考えている」というのは知識の世界なので、仏教的にはまだまだ放逸ですよ、いうことなのでしょうね。
昨日、例の本が届きました。
ずばり、智慧は正知で物事を知ることで、知識は誤知の世界ですね、多分。
誤知では、良い結果は得られませんね。
智慧、正知は悟ることで知ることができるんでしょうけど、智慧と悟りはけっこう密接な関係です。
上記の本では、そのことについて述べています。
引用
お釈迦様には、すべての言葉、概念、理解をのり越えた涅槃を語るつもりはありませんでした。お釈迦様は「涅槃とはこういうものだ」とはあまり語っていません。
私は昔、涅槃について書かれた経典を、全部調べたことがあります。とても少ない数しかありませんでした。その代わりにお釈迦様は、理性ある人に理解できる「パンニャ」について多く語られてます。涅槃ではなく、誤知と正知の問題です。
これは、ある意味取り組みやすい課題です。なぜならば、我々の場合は誤知ですが、たとえ誤知であっても知ですから、それを誤から正に戻すだけだからです。そこに少しだけ救いの糸があります。ですから仏教は智慧についてよく語るのです。
ずばり、私は誤知だらけの誤知の世界に生きてます。
正知に修正するにはどうすればいいでしょうか。
そのためにお釈迦様はたくさん智慧について語ったのでしょうね。
この本を詳しく読んでいきたいと思います。
智慧と涅槃の話は深いです。
深いことを教えてくれる本です。