引用
智慧とは、特別に「何かがある」ことではありません。じつは、「何もない」ことなのです。
心の中に、ある価値判断や尺度をもっていると、それに当てはまるものしかみえません。知識にしがみついていると、それで頭がいっぱいで、他のものが入らなくなってしまいます。
バリバリの私見です。
修業実践して、行くべき段階になった方は、かわいくて優しい人のような、かといってとんでもなく鋭い人なんでしょうね。
以前、ちらって書いたことがあります。
そういった方にまだ会ったことはないですけど、たぶん「知識の人」ではないと思います。
昨日の文章の通り
「慈しみの実践」と「智慧に近づくよう」、「智慧とはありのままに観察すること」ということは、智慧を育てるためにヴィッパサナー瞑想はとても大切ですし、日常を気づきをもって実践することも大事です。
と、書いてみましたが、どこにも「知識」の入るところがありませんね。
仏教の実践とは頭でっかちから離れる訓練なのかも・・・。
私は幸いにして知識は無いほうです、かといって慈しみは中途半端だし、智慧からはまだまだ遠いし、一番悪いパターンかもしれません。
自分自身の現状を教えてくれる本です。