ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

「何もない」ことが智慧 『ブッダの教え一日一話』

引用

智慧とは、特別に「何かがある」ことではありません。じつは、「何もない」ことなのです。

心の中に、ある価値判断や尺度をもっていると、それに当てはまるものしかみえません。知識にしがみついていると、それで頭がいっぱいで、他のものが入らなくなってしまいます。

 

 

バリバリの私見です。

 

 

修業実践して、行くべき段階になった方は、かわいくて優しい人のような、かといってとんでもなく鋭い人なんでしょうね。

 

以前、ちらって書いたことがあります。

www.jataka.info

 

そういった方にまだ会ったことはないですけど、たぶん「知識の人」ではないと思います。

 

 

昨日の文章の通り

「慈しみの実践」と「智慧に近づくよう」、「智慧とはありのままに観察すること」ということは、智慧を育てるためにヴィッパサナー瞑想はとても大切ですし、日常を気づきをもって実践することも大事です。

 

と、書いてみましたが、どこにも「知識」の入るところがありませんね。

 

 

 

 

仏教の実践とは頭でっかちから離れる訓練なのかも・・・。

 

 

 

 

私は幸いにして知識は無いほうです、かといって慈しみは中途半端だし、智慧からはまだまだ遠いし、一番悪いパターンかもしれません。

 

 

自分自身の現状を教えてくれる本です。