ジャータカのよもやま話

テーラワーダの在家仏教徒 身の回りのことを地味に書いてます。

智慧は水のようなもの 『ブッダの教え一日一話』

引用

知識とは、いろいろ学んで氷のように、形をつくることなのです。たとえ美しい氷の作品であっても、それは固いのです。

智慧は水のようなものです。形はありませんが、その都度その都度、何の抵抗もなく、容れものの形をとります。

 

バリバリの私見です。

 

下記の本、最終ページ 210~211

 

 

 

抜粋します、太字も本文のままです。

「生きることに何か意味はあるのか」と聞かれれば、「なんの意味もない」と私は答えます。ただ無駄、無意味です。生きるとは、なんということもありません。

中略

仕事をしなければ食べていけないから仕事をするだけ、歳をとったら病気になって死ぬだけです。我々はその時々でやらなければいけないことをやっているだけです。

中略

そこで、また生老病死で死にます。次にまた、生老病死で死にます。その繰り返しです。まったく意味がありません。

中略

人にはもっと大切な仕事、もっと究極的な目的があります、それは、清らな心をつくること、煩悩をなくすこと、解脱に達することです。それが終わったら、すべての仕事は終わったことになります。

 

 

知識でやる物事って、その時々でやらなければいけないことをやっている、ことなんでしょうね、それは形があるような感じで、そのときはいいけど、時間が経つと古くなるし、壊れてくるし、また作り替えなければいけないかもしれない。

 

でも、知識でやる物事には、意味があると思ってやっていいるんでしょうね。

でも、そんなことに悩んでる暇があったら、お釈迦様が示した究極的な目的に挑戦してみたらどうですか?という話ですね。

 

そこで得た智慧は、いろいろなことにズバリ正解を出していく、ということなのでしょう。

 

あと、無意味だからといって、普段の生活や仕事を手抜きしていい、という話ではありません、そこを勘違いすると社会のネットワークを乱すことになりますし、あまりいいことは無さそうです。

 

 

 

ズバリ正解とはまだまだ遠い、と教えてくれる本です。